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八塩という人間の26歳

皆様、昼夜問わずこんにちは。
現代和楽器奏者の八塩と申します。
さぁね、遅れてしまいしたが私無事誕生日を迎え、27歳になりました。
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キャスでも話しましたが、思い返せば26歳は自分の人生の中で、3本の指に入るほどたくさんの出来事がありました。
 ロードバイカー、ボーカル、ナレーター、YouTuberと色々やってきて、津軽三味線に武器を持ち替えてはや3年。
まさか、こんなにたくさんのご縁やお仕事をいただき、「八塩」というブランドがここまで皆様の中に浸透するなどとは全く想像もしていませんでした。

少し皆様には、八塩という奏者が生まれた前後からのお話を聞いて頂こうかとおもいます。

 バンドボーカルの頃のやしおさん

昔から何かする度に、少しいい所まで手がかかっては辞めてしまったり、続かなかったり。
「きっと俺は何をどう頑張っても最後までは出来ないんだな」
などと考えていました。
    4年前に自分の津軽三味線の始まりでもあった祖父が亡くなり、三味線を八塩が引き継ぎました。
そして三年と少し前
今所属するバンドメンバーに縁があり出会い、「三味線やってるなら俺らとイベント出てみない?」と誘われ、そこから演奏人生がゆっくりとスタート
しかし、じいさんから譲り受けた三味線は、皮も緩み切って、ネックはボロボロ、撥もボロボロでとても人前で演奏できるものでは有りませんでした。

そこで、新しく三味線を手に入れようと物色するも、21の時に自己破産をしていた八塩はローンに通らず買えなかった。あの悔しさは今も覚えてます
そんな折、24歳の誕生日の時です。
今私が使っている棹を、えんぴつけずりはうすの「宮下浅葱」が八塩に買ってくれたのです。
メーカーさんも、いっこグレード低いやつを買おうとした八塩に「せっかくならこちら使ってください」と、送ってくださいました。
そうして、初ステージの坂戸児童館での演奏を終え、「有名になりたい」という自分の夢と、津軽三味線という武器がカチリとはまり
「現代和楽器奏者/八塩」が産まれました。
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こんな始まり方だったからこそ、正直始めて1年くらいまでは楽しく弾いてればいいやくらいでした。
気づけばイベントに呼んで頂けるようになり、お仕事をいただき始めたり…。
ー26ー
26歳の誕生日当日には、川越の「喜多院」で10年越しの夢を叶えました。
そして、6月には万座温泉へ。
縁があり、橙咲紅羽(旧くぅたろう)に出会い
宮下浅葱、八塩、橙咲紅羽の3人暮らしが始まり
7月には無職になり生活が破綻。しかし事務所に所属することになり
8月には埼玉の偉い方が集まる場で演奏させていただき、八王子への遠征を2度しました。
9月には山中流、谷川祐司師匠の元へ弟子入り。
10月はバイトをまたはじめ、生活が少しマシになり
11月にはおしゃ会で皆さんの前でたくさんの方とコラボ
12月には八塩、初の音源が完成しPVを撮影
1月は都内の居酒屋ちぇけさんを貸し切ったイベントに出演
2月は初の試みであ自分のチャーハンを振る舞うイベントで、たくさんの方に演奏とご飯を楽しんでいただき
3月は、新しく発足した殺陣グループIMONのサポートメンバーとしてイベントに出演して、橙咲とハイキングのイベントに出演。
4月にはチャーハンイベント2回目を行いました。
5月は月内本数過去最多のイベントがあります。───
独学で2年半、弟子入りして半年。
ここまでたくさんの応援と現場、素敵な方々に囲まれる今の環境。
   普段はちょけている八塩ですが、本当に感謝しています。
何をしても半端なところで折れてしまっていた男が、こうして少しづつ成長出来ていることに、八塩本人が1番驚いています。

八塩さんの姿をみて勇気をもらいました/本当にかっこよかったです!/成長する姿を見れて嬉しい
等等…書き出せばキリがないほど嬉しい言葉を沢山いただきました。
27歳になった今、26歳の自分の努力を無駄にしないよう、ここから更に津軽三味線奏者として大きくなれるよう活動していきますので、どうか温かく見守ってください。

全ての縁に感謝。
慣れないnoteなもので、読みづらくなってしまいすみません。
近く、色々とこちら更新する予定ですのでよろしければフォロー?なんて言うんだ?ね。伝わってください
最後とはなりますが、たくさんのお祝い本当にありがとうございました!!!
画像はけーくん(お友達)にいただきました。ありがとうけーくん
https://x.com/lxlx_K_xlxl?t=1bWa5fa_9NoLYMtXicoiNg&s=09

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