文学を語る、とは、文学の外からではなく文学の内部から語ること。マラルメを思い出すこんなこと言うミシェル・フーコーの文学講義。文学についての文学。そこにあるのはロラン・バルト言う(零度の)エクリチュール。文学は常に侵犯である、ってのもフーコーらしい言い方だ。
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