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古教照心〜教えを活かす〜

古教照心こきょうしょうしん心照古教しんしょうこきょう


自分が主体になって、自分の心が書物の方を照らしてゆく
自分から読んで初めて、研究というものになる。
それによって得るところは自分の生きた所得になる。

知性による知識というものは、
これがなければ学問も発達せず、人間にとっては有用なものであるが、
それ自体、本質的価値のあるものではない。

学問というものは、
まず自分が主体になって、自分が積極的に始めなければならない。
つまり生きた学問、いわゆる活学をやらなければならない。
心が照らされるのではなく、
心がすべてを照らしてゆくような学問をしなければならないのであります。

自己の発展が他の発展を妨げない生き方

情報の取捨選択

私が憧れた江戸幕末期の傑物に、
山岡鉄舟やまおかてっしゅうという方が居ます。
江戸城無血開城の影の立役者で、
西郷隆盛が勝海舟と会うことを了承した決め手は、
この山岡鉄舟の赤心に触れたからだという逸話があります。

当時の実態は把握できていませんが、
江戸から明治に移り変わる時の大人には、
おおよそ成熟度が高い方が多かったと思っています。

数多ある国の歴史の中で、
政権の交代が、革命ではなく維新によってなされたのは
稀有で偉大なことだと海外の評論家が賞賛していた
というのを本で読んで知りました。

大きな切り替えを、犠牲を出さずに行う決断ができたのは
当時の大人が、
それを判断できる見識と胆識を養っていたからだとも思います。

「人物」と呼ばれる人たちは、
ここを乗り切らなければ次の日本はない、
と思ったときに、
自分のことだけではなくて藩のこと、
藩のことだけではなく日本のこと、
というように視野をどんどん広げながらも
地に足をつけて、リアリティを失わずに行動した。

理想主義と現実主義の両輪を回しながら懸命に生きる
自分のことを超えてもっと大きなもののために
まっしぐらに生きる、これができるようになりたい。

2018年1月9日 齋藤孝著書を元に書いた読書メモより

では、どうすれば幕末の志士のように、
自分、家族、国のために行動できる大人たいじんになれるのか。

5年前の私は、情報の純化が重要だと思いました。
雑駁な情報に触れて時間を無為に過ごした分、
人間の成熟が遅れると思い、戒めようと試みました。

ただ、
なんの因果か局所的なルールで成り立っている会社に勤め、
その中で他者の「知らんがな」ルールを
第三者視点で見ているうちに
自分の決めたルールもまた、局所的なものなのではないかと
気づくきっかけを得ました。

紆余曲折あってその会社を辞し、
2022年からネットビジネスという仕事の仕方があると知り、
情報収集を初めて2年ほど経ちました。

その間、私はSNSに踊らされてきたと思います。

YouTubeショートや
インスタグラムのリール動画を見て
無為に時間を過ごすのは、
後から振り返っても正当化できません。

事務員として
仕事のことだけを考えて生きていた頃から比べると
仕事や生き方の多様性を見る機会も多く、
視野は広がったと思いますが、

その分、雑駁な情報に呑まれて
純粋でいられていないと感じることもありました。

ネットの海には、
情報源の事情を知ると、
「付き合ってらんねえな」と思うものも
たくさん浮かんでるんですよね。

必要なのは、まず自分の内側に問うこと。
外に追い求めるのではなく、
自分の欲を研ぎ澄ませて
「無欲」になることなんだと思います。

…やめられないのは、「代償行動」になっているから
という場合もあります。

欲を研ぎ澄ませて身口意を一致させる、
自分の中の「大欲」にしたがう、

これを、

「明徳を明らかにする」とも
言うのではないかと思っています。

これをしたいと思ったとき、
幕末の志士が幼少期から素読によって馴染んできたであろう
『大学』が、
まさしく「明徳を明らかにする」ことを本義に据えていたんです。

→「明徳を明らかにする」


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