今回はちょっと歴史のお話になります。
高野山におてつたびに伺った時、
弘法大師・空海さんを指す、
「南無大師 遍照金剛」
という文言を見かけ、そこから「遍照」つながりで
比叡山の伝教大師・最澄さんが『山家学生式』に著した
「一燈照隅 万燈遍照」
という言葉を思い出しました。
お二人の関連性がなんとなく気になり、
本を読んだりネットで調べたり、人の話を聞いたりするうちに、
その交流と断絶のエピソードを知りました。
忘己利他の心で人々に尽くした最澄と、
自利利他こそ本当の利他と考えた空海
最澄さんがつくった、僧侶を育てる学校の
学生手帳のようなものが「山家学生式」なのですが、
そこに学生の守るべき守則として、こう記されています。
立派なお坊さんが国の宝となる、
一隅を照す品格を備えたお坊さんが地方に下れば、
そのいく先々で周囲を照らす。
その徳に照らされて、感銘を受けた人がまた一燈を灯す。
そういう期待を込めて世に教え子を輩出した最澄さんの考え方は、
自らの立場を忘れて、
困難や苦しみを引き受け
善きことを他者に手渡していきたい
というものでした。
彼が19歳の時、ひとり比叡山に入ると決めた際に立てた願文
を読んだのですが、
私は彼の心境を惻隠して、シンパシーを抱きました。
人は自分に関係のあるものしか認識できないと、
苫米地さんがYouTube動画で仰っているのを
たまたま目にしました。
私が拾ったのは、
最澄さんの厭世的な世界観と自己否定と、
そこから出発した自己変革の決意、
そして、他者のためになることで自分を認めようとするスタンスでした。
→忘己利他にはもう懲りた