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心照古教〜『大学』を考える〜【十八】

私のこう在りたい姿 「命みこと」(二)

なんと非難されようが、迫害されようが、
少しも動揺しない絶対者

神道ではこれをみことという。
そういう人が尊いから、尊という字をみこと﹅﹅﹅と読む。
そういうように、自己を絶対者にするということは、自分自身純一になるということで、それが「其の意を誠にする」ということであります。
これは道の本体、徳の本体であります。
それは「自ら欺くなきなり」で、
その本体を欺いて、人間は常に不安不満の生活に惑っているのであります。

安岡正篤『人物を創る 人間学講話「大学」「小学」』

なんと非難されようが、迫害されようが、少しも動揺しない絶対者

私は幼少期に
「ただの利己的な行動を
 自己弁護や意固地を重ねて押し通し続けている人間」
を四六時中目にする機会に恵まれ、
さらにその人に煮湯を呑まされる生活をしていたので、
その姿に対して「こいつのようになるくらいなら死ぬ」と
嫌悪感を募らせていました。

そのため、私自身は
基本的に「私は誰かに迷惑をかけていないか」
とキョロキョロしていました。
ただ、そうすると舐められることも結構あるんですよね。

だから、
「周りが見えていないわがままなやつ」にも
「いつも周りの顔色を伺っているやつ」にも
なりたくなくて、
理想の姿を追い求めていた。

そのうち、漫画や小説なんかで
「何か(自分以外の)守るもののために
脇目もふらずに戦っている」ような人の姿を見て、
憧れたんだと思います。私もそうなりたいと思った。

私が山岡鉄舟やまおかてっしゅうを知ったきっかけは、
山本兼一さんの『命もいらず名もいらず』という小説なのですが
その小説の一場面で印象深かったのが

幼少の鉄舟(鉄太郎)が、父の今際の際に受けた
「自分のためになることをしろ、お前はそれが周りのためになる男だ」
という遺言です。(↑うろ覚えで恐縮ですが、だいたいこんなことを言っていました)

鉄舟先生は、23歳の時に「宇宙と人間」という思想体系を著しています。

漠として宇宙界と名付くといえど、切言すれば吾人もまた等しきものなり。
故にその源を究れば、地、水、火、風の四原よりなり、
而して風往雨来、遷転極まりなきに似たれども、
亦其の中に一定不変の道理あるべし

山岡鉄舟「宇宙と人間」

そして、宇宙界を構成する地世界の内に日本国を書き表し、
その日本を構成している階層の「武門」のところに、
「不肖鉄太郎はこの班末はんまつに列す」
と書き加えている。
自分が宇宙を構成する一部であることを
具体的に著している
ことに感服します。

こういうエピソードが残っているので、
私は、このかたは世界大人(宇宙大人)なんではないかと思うんです。

国よりもさらに広い視野で物を考えられる、
宇宙一体であることを知っている人だったから

それぞれが国のことを思っていたにもかかわらず
争うことになった幕末の志士たちの中で
「江戸無血開城」という
国を火の海に変えない方法を押し進めることが
できたんじゃないかと思います。

私の人生で入った軌道修正

若輩だった私は、
彼をこうなりたいの「型」にして、
自分自身が実際に感じた感覚を
「これは継続しなくてはならないもの」
「これは改めるべきもの」
と選別していきました。

おそらくその積み重ねで、
自分への縛りが行きすぎた結果、
私自身の反乱にあい
自分が本当は、自分の今いる地点をどう感じているのか
という一番根幹の部分を問い直すことになりました。

行く道を変えたこの2年、
私が師匠に据えてきた方達が残した教訓を
遵守しているとは言えない日々が続きました。
少なくとも、
今までの「良い子」の私には選べない選択をしてきたと思います。

自分に必要だと思ったから選んだのですが、正直心細かったです。

もう、師匠を師匠と呼べないのではないかとビビっていた節もあります。

でも、私が彼らのようになるには、私の人生に向き合う必要がある。
だからこのまま私の人生を生きて、私の在り方で
彼らのような「みこと」になりたいと
今も思っています。


→倫理的でない状態は気持ち悪い


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