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【了】「追悼法会のための」辻政信氏調査考察 2024.4.13

2024年1月14日に
突如私の見る世界に現れた
「ツジマサノブさん」を調べる様になって
ちょうど3ヶ月になりました。

事の発端は、
当時ご縁を感じていた尼僧さんから
メッセンジャーを通した文面で名前のみを伝えられ、
「彼に関する情報を調べてみる」ことになった、
というものなのですが


当初は私自身の浅学もあって、
辻さんの生前の功績を存じ上げなかったため

御霊となった彼への第一印象は、
「外国で亡くなられた無縁仏」でした。

昨今はインターネットなるものがありますから、
検索をすると驚くほどに情報が入ってきます。

彼自身の著作や、先行調査資料も潤沢にあり、
すぐに、おおまかな状況を理解することができました。

彼の生真面目(そう)な人となりを知り、
今も残っている悪評を知っていくと
どうにも、

生前有名だったがゆえに、
当時起こった(すべての人間がそれぞれの仕方で
関与しているであろう)失敗の
全責任を負わされる様な形で
「絶対悪」という汚名を着せられ、
その上、彼自身は故郷を遠く離れた戦地で、
人知れず亡くなり、何十年も放置されている…

ように見えて、
「あまりにも浮かばれねえ」案件だと思ったため、
けっこう前のめりに引き受けた記憶があります。

(私自身が、「理想を実践しようとしてとった行動を、
別人の世界観で邪推され好き勝手言われる不快感」
を経験していたため、感情移入したんだと思います。)

「5月3日の追悼法会に向けての伴走」で感じたこと

この3ヶ月は個人的にも、
一人暮らしのアパートを引き払って山寺に居を借り、
その後故郷の実家に送還される
という大移動をやっていたのですが、

この間、頭の片隅を占めていたのが
「辻さんは何を伝えたいのか」という靄がかかった謎でした。

私自身、
前半生は自分の(人間すべてが本具している)霊力を信じず、
意図して使うような経験もなかったものですから、

今回のようなことがあっても、
物質的な次元でコミュニケーションが取れない存在が
何を伝えようとしているのか
確証を持って「こうだ」と断定することが出来ずにきました。

…ただ、この3ヶ月間の経験によって、
「視る」ということが、
「眼球の網膜を通して光を知覚すること」
に限定されるわけではないと、学ぶこともできました。

頭(?)にヴィジョンとして浮かぶものもまた、
自分が「視ている」ものだった
と気づけたことは、一歩前進だと思います。

話が少し逸れたので、本筋に戻します。

通常現実と認識している「光の知覚」でもそうですが、
受け取った情報を表現するために脳みそを使うと、
自分のフィルターを通すことになるので、
自分の人間としてのエゴやら
過去の経験をもとにした解釈やらが干渉してきて
本来の情報が変容する危険性があると思っています。

(その後認識を改めることになりましたが)
「今日まで成仏できずにいるくらいに強烈伝えたいことがある」
であろう御霊の意向を汲むとなった時、
本当に自分が「彼の﹅﹅メッセージを伝える筒」
になれているかは、悩ましいところでした。
(私自身に成仏させられていない念があったため、
自分のことが喋りたくて仕方ない期間になっていた
と振り返っています)

辻さんに「これであってますか」と聞けないのが
ものすごくまどろっこしかったです。

結果として、自分の念を排するために
辻氏の著書から、
生前(人生半ば)の彼が公にしていた意向の読み解くこと
に終始することになりましたが、

それまで「ヒント」や「キーワード」として
調査考察の落としどころになるような「テーマ」を
指定されていた尼僧さんから、

「辻氏はすでに成仏していて、
 お不動さんになっている。
 自分ではなく、
 戦争で亡くなられた声なき声を伝えるように
 と言っている」

と、ここ数日のうちに
メッセンジャーと電話で伝えられたことで、

これ以上私にできることは無いと感じたため、
昨日、その旨を尼僧さんにお伝えしました。

読み書きをする役割を担った私の落としどころ

私は今回、調査考察を進めていくなかで
さまざまな情報に触れました。

私はだいたい、
焚き付けられて浮き足立つような情報が目に入ると、
「自分の置かれた立場を自覚して、なすべきことをなせ」
という言葉が湧いてくるのですが、

その言葉をもって現在地を照らしてみたところ
いつのまにか惰性的なっていた習慣の多さに
心許なさを感じました。

今の私は、何のために生きているんだろうか
を、改めて考えるきっかけになったと思います。

5月3日まで残すところ二十日ですが、
それまでうっすらと感じていた
「導き」のようなものが
絶えた感覚があり、
私にできる読み解きはここまでなのだろうと
感じています。

「追悼」に必要なことは
主催をされる僧侶の方達にお任せする他ないので、

ここからは、
自分の領分で何ができるかに専念していこうと思います。

「伝えなくてはならない」のは、
現実にその意向を汲む必要があるから、だと思います。

…まだ私の中に、3ヶ月間思い込んでいた
「辻氏に伝えたいことがある」思考が残っているようです。

受け取ったものを、
今生きている自分の学びにするのが
私にできる、「辻氏の念への応え」だと信じています。

…本当に伝えたいことは何だったのか、
結局、確証が持てないままですが、

自分なりに進んで行った先で、
また何かわかることがあるかも知れません。

今回の調査考察のなかで強烈に感じたのは、
「純粋なものの意向を汲みたい」という焦燥感です。

これを活かして進んでいきます。


2024年4月13日 拝

知る・学ぶ・会いにいく・対話する・実際を観る・体感する すべての経験を買うためのお金がほしい。 私のフィルターを通した世界を表現することで還元します。