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言行一致〜天命に応えて人事を尽くす〜【三】

「ととのう」と、しかるべき縁がつながる

ということを、
以前から友人の経験談としてうかがっていました。

私自身、
「外にある正解」ではなく「自分の感覚」を優先しようと決めて
生活と行動を変えてから、つながるご縁が変わったと感じていたので
似たような感じかな、と受け入れていたのですが
「今の私が調えているか」を省みるとそうでもないようで、
なにが違うんだろうとしばらく無聊を抱えていました。

その言葉を身体の中でぐつぐつ煮出したところ、
おそらく「ととのう」とは、
「受け取り方のアクを抜く」ということではないかと
気づきました。

物事の善し悪しは、
当人の受け取り方で決まると思うからです。

たしかにわたし自身、
人間関係においてまだまだ
濃いめの「アク」が残っていると思います。

子供の頃に
「自分の尊厳のために意地でも一人で死ぬ」
と心に決めていた弊害か、
頭で「人間は一人では生きられない」ことを知っていても
人の中に入ったときに、
長年身に染み付いている意地が顔を出すんだと思います。

2年前の絶望期にタロット動画を心の支えにして以降、
いまだにちょくちょく
おすすめに上がってくる動画を見ているのですが、
これが私の「アク」だろうな、と感じるメッセージがありました。

恐れがあって今まで人を信頼できなかった
助けて欲しいことがあっても助けてもらわなかった
人が信頼できなくて、
助けてもらえると思わなかったから
真の「協調」というものが自分の中になくて
なんでも「いや、自分でできる」という風にしてきた。
自分だけで頑張る生き方をしてきた


これは恐れに基づいているエゴの世界。
自分に鞭を打って自分を傷つけるような在り方、生き方
今はそれを手放すとき。

今まで助けられることを拒否してきた
調和することだったり、仲間を作るということを拒否してきた
それを手放して人の手を取るということ。
これが旅立ちになる。

今までいた場所では、
自分に合わない波動の存在に拒否されてきたことによって
痛みや恐れというものがあったかもしれないが、
無理にそこにいることをやめる、
その中で孤立しながら自分の力で生きてきたのをやめる。

これから気をつけて欲しいのは、
今までと同じことを繰り返さないように、ということ。
今まで繰り返されてきたパターンを、
嫌な思いをするのが分かっていて繰り返してしまう
その選択のところにいる。

今までも何回かその落とし穴に落ちている。
もうすでに知恵を十分に持っているのに、
その穴を避けて通ろうとせずにまた穴に落ちそうになる。
穴から助けられたのに、また自ら穴に落ちに行く
なんてことがないように、完全にこの生き方を手放して。

eriko耳olacle「もうすぐ始まる幸福と、終わる学び」

少しずつ人からの厚意を
受け取れるようになってきているとは思っています。

ただ、人に頼るにしても最低限
自分のことは自分でしておかないと
完全に依存することにならないか、
とも思います。

この発想自体、協調の世界からずれているのかもしれません。

多くの人は、他人の荷物は重たく、自分の荷物は軽いと思っている。
それは違う、逆である。
自分の荷物は重たいが、他人の荷物は軽い。
だから、楽になりたかったら、自分の荷物を放り出して、
他人の荷物を担げばいいのである(中略)
ただし、「荷物を放り出さない」人、
「自分の荷物」にしがみついている人の荷物は
私だって担げない。当たり前だけど。

内田樹『私の身体は頭がいい』

今の自分が、「自分の荷物にしがみついている」状態から
完全に卒業できているかはちょっと怪しいです。
でも、選択は着実に変わってきていると思います。

あとは、自分の感じ方を健全な形で、
「人に頼る=自分を責める」から剥がし切ることだなと思います。

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