大人になるということ

唐突だが、私はりんご飴が好きである。

お祭りに行くと必ず買うし、機会があればりんご飴専門店にも足を運ぶ。

大量に買って、会う人会う人に配ったりもする。
おかげさまで、たった一度だけ、たった一度だけだが、友人から「妖怪りんご飴配り」という大変名誉ある称号もいただいた。

りんご飴から波及し、ぶどう飴もいちご飴も好き。なんなら最近はいちご飴の消費量がりんご飴の消費量を凌駕する勢いかもしれない。

思えば、りんご飴は子供の頃から好きだった。

ちびにとってお祭りは非日常。お祭りの本来の趣旨などどうでもよく、出店に集ってはなけなしのお小遣いをなげうち、その日の夕ご飯代わりにしていたのを思い出す。

ちび時代、「それ」は他の食べ物とはまた違って見えた。なんというか、光がさしてるかのような。
べっこう状にコーティングされた棒付きのりんごは、おおげさなほどに眩しく放たれた出店のライトの光に照らされて、たしかにキラキラと光っていた記憶がある。

そして、それに負けないくらいキラキラとした瞳でそれを見ていた気がする。当時の自分にはそれほど、りんご飴が神々しく見えていた。

それをどう食べ進めていくのが正解なのかは、コロコロコミックを参考書代わりに生きていた当時の私には分からなかった。というか、今でもりんご飴の正しい食べ方など分からない。

甘ったるい飴をがりがりと食べすすめ、やがて到達したりんごを一口かじれば、ほんのり甘酸っぱいりんごの蜜が鼻腔をくすぐる。
鼻腔をくすぐるって表現を使いたかったんです。

ただ、ただ美味しかった。

ちびの頃のりんご飴に対する感想なんてこんなものである。こんなものでいいのだ。

こうして子供の頃にりんご飴と出会い、それから買える機会があればよく買って食べていた。

りんご飴に関しては、ちび時代の自分の頃より、むしろ今の方が好きかもしれない。

子供の頃はよく、大人になると趣向が変わる旨の話をよく聞いた。肉より魚が好きになるだとか、苦くて飲めないお酒が飲めるようになるだとか、女子高生より大人の女性に魅力を感じるようになるだとか、なんとかかんとか。

正直子供の頃は、嘘っぱちだと思っていた。

好き嫌いはしない方だったが、やはり専ら肉が好きで、好きすぎて牛の肉の部位を確認しながら食べるという可愛げのない行動を取るくらいには肉が好きだった子供の頃は、大人になっても普通に肉好きのままでいるだろうと。

正解だった。齢30を迎えても、肉が大好きである。肉という字をまじまじと見つめていてゲシュタルト崩壊を起こしてしまうくらいには好きである。

けれど、たしかに子供の頃に比べたら魚の消費量も増えた気がする。塩サバフィーレの焼いたやつなんか週に2回は食べるし、お刺身も2枚同時にいくことすらある。

お酒は、あることがきっかけで飲まなくなった。日本酒が好きだったが、よほどのことがない限り飲まないと思う。

女子高生は、好きだ。と言うと今の御時世では本当に捕まってしまうので控えないといけない。
いや、よくよく思い返してみれば、たしかに大人の女性が魅力的に感じるようにはなった。スーツ姿良いなって思うし、単純に綺麗である。みんな努力してるんだなぁ。
とはいうものの、結局ギャルはいいねぇ、という時期によく戻ってくる。女性の好みは、ね。人それぞれだからね。自由だからね。通報しないで下さい。

こうして振り返ると、子供の頃とたいして変わってねぇな、と思うことが大半。人間はそう簡単に成長しない。見た目は成長しても精神はたいてい子供のまま、逆コナンもしくはピーターパン・シンドロームである。

ちなみにピーターパン・シンドロームは、年齢的には大人だが精神的には大人になりきれていない「男性」を指すことから、間違っても女性に「君はまるでピーターパン・シンドロームになった可愛い子猫ちゃんだね☆」とか言わないように注意しよう。

人はみなおっきな子供である。普段は強がってはみるものの、やはりどこかでボロが出てしまう。しっかりしなきゃと思えば思うほど、悲しいほどにあっけなく、見るも無惨に崩れてしまう。

大人になるということは、身も心も成長すること。子供の頃よりも自立した心身を保つこと。

ただし、そこには必ず「幼心」を持っておくこと。

泣きたいときは我慢せず子供のように泣いてもいいし、楽しかったら子供のようにけらけら笑ってもいい。法に触れたり、人様に迷惑をかけなければ、全裸でパラパラを踊ったりしても全然いいと思う。

子供の頃に好きだったことを、大人になってやめる必要はないし、恥じるこ必要もない。何が好きでもいいし、それは誰も制限することはできない。

大人になることは、イコール子供を卒業することではないと個人的には思う。むしろ、自分の中の子供な部分をそっと忍び込ませておく必要性すら感じる。遊び心にもちょっと似てるかな。

ちなみに、私の中で「大人になるということ」とは、「子供の頃と変わらず、これから先もずっとりんご飴を食べ続けること」です。











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