ハッカ / エレキブラン

何かを「得る」ということは、同時に何かを「失う」ことに等しいと思う。

新しいノートを買う 髪をカットする マイカーを入れ替える…

そこには、小なり大なり小さな損失があることに気がついてしまった。

誰しも「得る」ことに損失を思わない。

その駆け引きには、少なくとも「等価交換」または「今以上のお得感」があってのことだから

でも人一倍 情だけは移ってしまうようなところがあって

壊した玩具のために 泣いたり お墓を作ったりしたこともあったよ

家の裏の木の回りをペットセメタリ―みたいにしてしまってたかもしれない




この人生の中の「取り引き」みたいなものは、望んでそうしたものだけではなく

望まずが 時がそれを成立させてしまうということがある。

一日が空の高さと同じで 楽しかったあの日々 それは大げさでも華やかでもない普通の日々

いつまでも この日と同じが連続し続けるという「永久」ではない「永遠」を無意志に信じて

信じていながらも 時の流れに身を任せていくうちに 大きなポケットに集めていた大事なものは色あせ

それを磨き直すこともせず もうガラクタだと夜空にバラ蒔いた

家宝と信じていた物がガラクタだと

部屋の隅に何年も放っておいたものがお宝価値観だと

鑑定を人にゆだねると 自分だけで良かったはずの価値観 そして私自身も一掃されてしまいそうです




だけどこういう性格だから

変なもの見つけるの得意だったり

誰もが忘れるような昔の些細な出来事を良く覚えているから

プチクラス会に良く呼ばれるようになったのだと思う

在学時はあまり仲良くはなかったのにね

ああ そう考えると 時は決して全てを奪い去った訳じゃないと信じられるよ。


とりあえず もう少し 断捨離しましょうか

いつまでも幽閉しているだけなら「思い出」がかわいそうだ

違うよ 大車輪じゃないってばよっ

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