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cast a spell on her



人生には想像もつかない出来事がつきものだ。
小さいこと、大きいこと。
良いことも、悪いことも。


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ミスをして、怒られて落ち込んで、またミスをした。

気分転換にと訪れた夕方のショッピング街は、思ったよりも人が少ない。
立ち並ぶ店々がディスプレイや電飾や映像を駆使して商品を目立たせようとしている。


首元にグレーのファーが付いたパーティードレス、
艶々した真っ赤なハイヒール、
耳に光る三連のジュエリー。



生ぬるい風が髪の毛を掬い、スキニーとブーティーの隙間を掠めてゆく。


「眩しい」


店を通り過ぎる度、目の奥がちかちかした。






眩しさが和らいだ。

いつの間にかショッピング街を通り抜けていたらしい。
顔を上げると、通りの端には小さなブティックがあった。

こんな所に店があったのかと少し驚く。
暖かな光に引き寄せられると、少し背の高いガラス窓の向こうに、ワンピースを着たトルソーが置かれているのが見えた。

こぢんまりした気取らないディスプレイは、心地良くてほっとする。

ぽわんとたわんだ袖の膨らみ、
重力に従って折り重なるドレープ。


「懐かしいな」


入口のずっしりとした木製のドアを引くと、からん、ころん、とベルが鳴った。




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GAME OVER 。

ここで聴くMIDI音は悔しさが倍増する。
地団駄踏みたくなる前にゲーム機の電源を切って、テレビの画面を真っ黒にする。
私の精神衛生上、これが良い。

悔しさ収まらずにぽいっと放り投げたコントローラーは、落ちた先のクッションからぽこん と落ちてひっくり返った。

視界に入る、壁に掛けられた服。
姉さんってば、ご丁寧にメモまで置いていってくれた。

『着たら見せに来ること』だって。

サイズを間違えて買ったからって、私に押し付けなくても良いのに。



「ワンピースなんて、着たことないよ」

赤ちゃんの頃は着たことがあるかもしれないけど。

マンガとゲームソフトが並ぶ部屋で、春の訪れを告げるようなレモンイエローだけが、違う世界を切り取ったみたいに鮮やかだ。

フレアがたっぷり入ったAライン。
可愛らしさもゆとりのあるデザインも、普段とあまりに違っている。

とにかく、私はおしゃれに興味がない。 ゲームとマンガが好き。シャツとデニムで満足。

怒られるのは嫌だから着るけど、もうこれっきりなんだから。



頭からすっぽり被って首の後ろの小さなシェルボタンを留めると、背中の生地の流れが少し
だけ変わる。


切りっぱなしの髪、化粧っ気のない顔。

姿見に映っているのは間違いなく私なのに、ワンピースが私を別人みたいにしている。

どきどきして頬に熱が集まった。

ワンピースの裾をつまんで離すと、重力に従ってひだができる。

生地がなめらかに落ちて、脚の周りに小さな風を起こした。

上品なお辞儀を見たくて、何度も裾をつまんでは離す。腕を持ち上げると、ぽわんとした袖の部分が下を向いた。


「きれい」



言葉はぽろりとこぼれた。

嬉しくなってベッドの上でぴょんぴょん跳ねたら、うるさいわよ!と姉さんに怒られた。


自分を誰かに見せたいと思ったのは、初めてのことだった。





-




店内に入ると、木の香りと服をアイロンがけした時の匂いとが混じった、穏やかで清潔感の
ある香りが迎えてくれた。

真ん中にはウッドテーブルが置かれ、その上にはトップスが畳んで置かれている。
全ての調度品がシンプルで、服を引き立たせていた。

こぢんまりとした空間ながらも、来客者に狭さを感じさせないレイアウトだった。


「こんばんは」


左手のカウンターから初老の男性がひょっこり顔を覗かせ、にこりと笑う。

店主はレコードプレーヤーの針を落として、音楽を小さな音で流し始めた。


「ご試着もどうぞご自由に」

「ありがとうございます」


男性店主は右奥の扉を指差して、私が頷いたのを見ると、柔和な笑みでゆっくりしていってください、とカウンターの奥に入っていった。


ガラス向こうにあったワンピースの仲間だろう服が、何着か壁際のハンガーラックに掛けられていたが、外で見たあのワンピースはなかった。

右側の壁に打ち込まれたフックに、探していたワンピースが一着引っ掛けられていた。


緩やかに落ちる肩のライン、ブーケを包んでいるかのように手首を包む袖口。

ワンピースは、前から後ろに掛けて裾が長くなるフィッシュテールのデザインで、チェック柄の生地でできていた。

「グレンチェック、好きだったなあ...」


じっと見つめると鳥がたくさん飛んでいるみたいに見えてくるグレンチェックは、ゲームやマンガに夢中だった頃から好きだった。

チェック柄のコーディネートばかりになっていた時期を思い出すので、何だか気恥ずかしいけれど、今でも好きな柄。



『姉さん、私このワンピース大切にする!』

あのレモンイエローのワンピースを着てから、私は確実に変わった。
おしゃれというものに興味を持つようになった。

長い時間を掛けて、少しずつ成長していった。


思い出の春色のワンピースは、背が伸びて、より女性らしい体つきになったことで着れなくなってしまったけれど、今でも大切にクローゼットにしまってある。



パンツスタイルではない久しぶりのワンピース姿。
鏡に映る自分に、思わず手を口に当てていた。

「素敵」

緩やかでありながらもほっそりとしたシルエットになるのは、首、肩、デコルテ、そして腕から腰、裾にかけて、着る人を最大限引き立てる向きでグレンチェックの生地が使われているからだ。

華美なデザインではないけれど、ディテールは非常に良く計算されている。

折り重なるドレープから足がちらちらと見えて色っぽく見えるし、スキニーと合わせて履いていたブーティーも良く似合う。

「とても良くお似合いだ」

カウンターの奥の作業机から顔を向けて、店主は言った。


「ありがとうございます」


自分の中で、ワンピースだけは特別だった。
初めてのワンピースを超えるものに、ようやく出会えた。

「あの、着て帰っても良いですか」

店主は勿論、と微笑んだ。


彼がカウンターの奥に下がっていったのを確認して、鏡の前でくるりと回ってみた。

ワンピースの裾がふわりと膨らんで広がるのを見て、長いこと会えていない友達に会えた時
のような、込み上げる嬉しさでいっぱいになった。




こつ、こつ、とブーティーのヒールを鳴らして歩く私の手には、通勤用のバッグとさっきまで履いていたスキニーが入った紙袋がある。

来た道を戻ると、どんどん道が電飾で明るく照らされ、周囲もきらびやかになる。

でも、不思議と眩しく感じなかった。

しょんぼりしていた時が嘘みたいに気分は晴れやかで、足取りも軽い。

ミスはしてしまったけれど、挽回すれば良いのだ。





人生には想像もつかない出来事がつきものだ。
小さいこと、大きいこと。
良いことも、悪いことも。

がっかりすることがあったとしても、素敵なものを身に纏うことで、勇気や元気がもらえる。

今日の、明日の力になる。



私、もう大丈夫。


やわらかな夜風がワンピースの裾をふわりと膨らませると、前を行く縦長のシルエットも、アスファルトの上で楽しそうに踊った。





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