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大窪寺の紅葉

【大窪寺の紅葉】

11月19日の千宗旦の「宗旦忌」は、今日庵にある宗旦お手植えの銀杏が盛の頃で見事であると読んだばかりに、大窪寺に紅葉を見に行こうと思い立ったのがお昼。

いつもながらのゆっくりな出発のうえに、おへんろ交流サロンによったりしていたもので、15:00近い到着となったんだけれど、それはそれは見事な紅葉で、盛りをみのがしがちな私としては、大変よくできました(笑)

時間帯のせいか、お遍路さんよりも紅葉狩りの一般の人が多く、外国のお客さまも来られていて、観光客も動き出しているって感じですかね。

お寺付近の食事処は16:00閉店が多いので、私はお団子だけ食べて下山しましたが、帰りに聞いたFM香川で、かっしーが新しくできた豆乳うちこみうどんが美味しかったと言ってたそうですぞ(笑)。

この週末は、最後の紅葉狩りで賑わうはず。道路工事の箇所がいくつかありましたので、気をつけて。

大窪寺  https://88shikokuhenro.jp/88ookuboji/

■大窪寺の歴史・由来

八十八ヶ所結願(けちがん)の霊場「大窪寺」。徳島県の県境に近い矢筈山(標高788m)の東側中腹に位置します。縁起によると、養老元年に行基菩薩がこの地を訪れた際に、霊夢を感得し草庵を建て修行をしたと言われます。弘仁6年に、唐から帰国した弘法大師が、現在の奥の院にある岩窟で、虚空蔵求聞持法を修法し堂宇を建立。等身大の薬師如来坐像を彫造し本尊とされました。また唐の恵果阿闍梨より授かった三国(印度、唐、日本)伝来の錫杖を納めて大窪寺と名づけ、結願の地と定めました。本堂西側にそそりたつ女体山には奥の院があります。大師が本尊に水を捧げるために独鈷で加持すると清水が湧き出たと伝えられます。その水を薬とともに服用し、ご利益を受ける人も少なくありません。

女性の入山が、早くから認められ女人高野としても栄え、一時は百以上の堂宇を誇っていました。しかし天正の兵火や明治33年の火災などで寺勢は苦難を繰り返します。しかし高松藩主の庇護や歴代住職の尽力により興隆。結願聖地の法灯を守り続けています。「同行二人」を共にした金剛杖などは、大師堂脇の寶杖堂(ほうじょうどう)へ奉納されます。これらは毎年春夏の「柴灯護摩供(さいとうごまく)」で供養されます。

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