1/18 明暦の振袖大火のこと




【振袖大火のこと】

1/18 goodmorning

晴れたね!

48時間引きこもり締め切りの2日間もキリがついたので、今日は外にでますよ。


今日は、江戸城の天守閣と街を焼き尽くした、#明暦の大火 が起こった日。1657(明暦3)年1月18日のこと。この火事によって10万人もの方が亡くなったという。

過密化し、暴徒が暗躍する江戸の街を整理するために幕府が起こしたものという説もあるが、やはり一番語られるのは、

#小泉八雲 「振袖」の題材にもなった振袖火事。



「振袖

 近頃、私は古物商の多く住んで居る小さい町を通つて居る間に、一軒の店にかかつて居る派手な紫の振袖を見た。德川時代に位の高い貴婦人が着たやうな着物であつた。私はそれについて居る五つの紋所を見るために足を停めた、同時に昔江戶の破滅の原因となつたと云はれる同じ着物のつぎの傳說を憶ひ出した。」


で始まる、短い怪談話。

叶わぬ恋に悩み亡くなった娘が着ていた振袖が次々と事件を起こす。

着物を趣味としていた40代の頃、五つ紋の古代紫の縮緬の振袖を求めよく着ていたが、褒められることはあっても恨まれることはなかったので、

美しい若い娘限定のお話だ(笑)

「振袖」は、何かの機会に読んでいただくとして、「ノルグドレン 小泉八雲の怪談によるバラード」って音楽もあるので、茶室る庵で演ってもいいね(笑)。


wikiで明暦の大火のことを見ていたら、興味深いことを書いていたので、メモしとく。

#松平信綱 ってひとは、知恵者だね。

■大奥ではこれ以前は髪を結い上げることがなく安土桃山時代と同様の垂髪だったが、これ以降は一般武家や町人と同様に日本髪を結うようになった。

■大奥女中らが表御殿の様子がわからず出口を見失って大事に至らないように、松平信綱は畳一畳分を道敷として裏返しに敷かせて退路の目印(避難誘導路)とし、そのあとに大奥御殿に入って「将軍家(家綱)は西の丸に渡御されたゆえ、諸道具は捨て置いて裏返した畳の通りに退出されよ」と下知して大奥女中を無事に避難させた。


では、朝の珈琲

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