2.5次元の誘惑を読もうかどうしようか迷っている人へ

 「2.5次元の誘惑」はわたしが今一番ハマっているマンガだ。
ハマっているのでぜひ周囲の人たちにもすすめたいと思っているが、そこでわりとネックになっているのが、「エッチなマンガなんでしょ?」という印象だ。印象というか、具体的には第9話あたりまでは実際そうだ。


「エッチ」ということそのものはもちろん悪くないどころか、それ以降もこのマンガの魅力の一つではあるのだけど、序盤は「エッチ」の質がちがう。少年誌によくある「無自覚エッチ・ラッキースケベ」のパターンそのものである。その点を楽しめないと感じてしまう読者が一定数いる(いた)であろうことはどうしても否定できない。というかわたし自身、第1話を読んだときはそうだった。

 ただしかし、それを理由に回避してしまった人たちに伝えたいのは、途中(具体的には第12話)からこのマンガはガラっと変わり、それに伴い「エッチ」の描き方の中身もキャラクターたちの関係性も、すべてが大きく変わるので、まずはそこまで読んでほしいということである。
この文章はそれを言いたくて書いている。


(以下完全なネタバレ)






 1巻をあらためて読むと、「まだキャラクターが安定していない」と感じる。リリサは「誰だお前?」という感じの表情をしているし、奥村は基本設定こそ最初から提示されてはいるが、それでもよくいる自意識過剰なオタク少年という以上の印象にはならない。(一方、サブキャラクターである美花梨は主役2人とちがって登場時点からすでにキャラクターの軸が定まっている)


奥村には「2次元オタクかつ現実の女性に対して暗い家庭環境に基づく不信感があるため、実在の女性に劣情は抱かない」という設定があり、だからこそ「自分のエロいコスプレ写真を撮ってほしい」と願うリリサを「よこしまな気持ちを持たず」撮影してやれる、という話になっているが、マンガの見せ方としては先述したように「無自覚ラッキースケベ」そのものなので説得力が足りない。

 ただこの時点ですでに、二人しか部員のいない漫研部室でのオタク活動はとても楽しそうで、ユートピア的な心地良さがあった。わたしが特に好きなのはコスプレ写真の編集作業のために部室にこっそり泊まりこむエピソードだ。ここでは二人の特別な時間を包む「部室」の存在がキーとなっている。もともとこの部室は、先代までの先輩オタクたちと唯一の下級生だった奥村の楽しい時間が蓄積された場で、同性オタク相手にもあまり社交的なタイプではない彼でも自分の居場所を見つけられた掛け替えの無い場だった。


だからこそ、奥村は現在は唯一の上級生であり部長である以上、後輩のリリサに対する責任を自覚し、彼女の活動をサポートすることが自分の責務だと決意する。
 一方で、ここで恋のさや当て役である美花梨が登場する。奥村への恋心に燃える彼女は、リリサと奥村のあいだにもうすでに恋愛感情があるのではないかという問いを投げかけ、二人は互いへの感情を意識する。
そんな心境の二人が、初めて人前に出るコスプレイベントに参加する当日、イベント前の朝の時間を「デートみたい」に過ごす。

 このエピソードは実はこの作品そのものの分岐点だった。特別な何かで結びついていなくても、好きなアニメを見ているだけで盛り上がれる二人はきっとどこにでもいる普通のオタクカップルとしてもそれなりにうまくいっただろう。このエピソードはそうしたifエンド(つまり、そうなったらこの作品は実質終了していただろうという意味だ)の可能性も示していた。

だが、初めてのコスプレイベントでリリサは壁に直面する。二人で作った初めての自作ROM(コスプレした写真データをまとめたCD)は全く売れなかった。さらに奥村以外にコスプレ姿を見せたことのないリリサは、会場の空気に萎縮してコスプレ姿を見せることもあきらめて帰ろうとする。一方で奥村は、自分以外の男にコスプレ姿のリリサの姿を見られることを想像して嫉妬し、「売れないままでもいい」とつい思ってしまう。ここで独占欲から聞こえの良い言葉を選んでしまえば、リリサは言い訳として飛びついてしまったかもしれない。そうして帰ってしまえば、二人だけの生温い幸福な部室の時間は守れたかもしれないが、やはりバッドエンドに違いはない。


しかしそこで実際に奥村が選んだのは、

「可愛い!!!」

「リリサのリリエルが世界一可愛いんですけど!?」(見出しハッシュタグ連打)


と叫び、リリサの背中を押すことだった。

(こんなの告白より恥ずかしい)


この瞬間、あらゆることが変わった。
大げさに言えば、このとき、自意識過剰なエロコメ主人公の奥村から、情熱と人の善意を信じる熱血マンガの主人公のリリサへと、このマンガの主役がバトンタッチしたのだ。
(その証拠に、この話以降は奥村の内面を物語るモノローグはほとんど見られなくなり、変わってリリサのものが中心になる)

男目線で(自分の好きな女の子の)エッチな姿が「見えてしまう」「見られてしまう」という話から、女性が「自分自身が見せたいと思う」(エッチな)姿を「見せていくために努力する」話、「自己表現」の話に完全にシフトしたのだ。

奥村に背中を押されて勇気を振り絞ることに成功したリリサは生まれて初めて自分の大好きなキャラクターであるリリエルのコスプレ姿を衆目にさらし、その「愛」に周囲は打たれる。そして物語は本格的に動き出す。まさにここがこの作品のティッピングポイント(物事が爆発的に動き出す瞬間)だったのだ。

(一方リリサに主役をゆずった奥村が存在感を失うかというとそうではなく、ダークヒーローというかスパダリ的に八面六臂の活躍を見せ、「女の子たちをサポートするヒーロー」としてむしろ生き生きと動き始める)

 週刊連載マンガでは、当初は作品の向かう方向性が見えず不安定な飛行を続けるが、何かのきっかけで「これだ」という「形式」を見つけて以降、見違えるように推進力がついて人気も出た、という作品は珍しくない。キン肉マンも幽遊白書もそうだし、ほかにもきっとたくさんある。だが、これだけはっきりと、一回のエピソード、一つの見開きセリフで「確信」を見出した例はさすがに少ないのではないだろうか(あくまで想像でしかないが、作者自身も描きながら強い手応えを感じたかもしれない)

一つの勇気、一つの絶叫(言いながら恥ずかしさのあまりキレ気味になっている)が自分も世界をも一変させる力を持つ。それもまた、これまで少年マンガというジャンルが描いてきた信念の一つだ。そういう意味では、今現在の「2.5次元の誘惑」は、あのときの奥村のセリフが切り拓いた奇跡の時間をまっしぐらに進んでいる。

追記 

このバトンタッチに続くエピソードはそのものずばり「コスプレが社会にどう見られるか」をテーマに、まゆりと753という「大人たち」の物語が語られていくが、この流れが可能になったのは、主人公のバトンタッチの結果として、「二人だけの微温的なユートピアとしての部室」にはもう戻れず、自分たちの好きなものを社会に開いていくしかない、という選択を二人がしたからだろう。(だから次のエピソードは部室の存続問題からはじまる)


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