見出し画像

SHK国歌制定にまつわる思い出

歌詞募集への応募

2007年7月13日。
SHに出逢って10ヶ月が経とうとしていた頃、SHK国歌の歌詞を募集する企画が発表された。
20文字以内のフレーズを募集すると。
ハマりたでてSHの世界に夢中になっていた高校生の私は、応募を決意した。

私がSHと衝撃の出逢いをしたのはエリ組で、その後Romanに心を掴まれた。本家サイトでRevoさんの胸の内を知り、各地で行われたロマコンDVD上映会の最終日にイヴェールがローランへ別れを告げたレポを読み、ショックを受けたりしていた。

そんな状況だったから、自然とRomanに影響を受けた言葉が浮かんできた。

いくらかRomanを連想するような言い回しを拝借したいと思った。朝夜の「僕の詩を灯そう」「詩を灯すでしょう」という表現、11文字の「この地平線(せかい)愛してくれるなら」というルビ。本家サイトで語られた、「君達は僕の愛すべき民であり、ロマンを繋げる仲間。故にローランと呼ぶ。」ということば。

国歌のようなシンボリックなものへの応募なんて、たった半年そこらでハマった新参の若造がおこがましいだろうかと萎縮もしたけど、それでも「参加したい」という意欲が勝った。

そして、できたフレーズを応募した。

《詩》を唇に灯し 我等は地平線を渡る
(うたをくちびるにともし われらはせかいをわたる)


SHK国歌の完成

2007年8月10日。
当時の私の情報源の一つは2ちゃんねるだった。
ガラケーでSHの本スレを追い、夕食後にパソコンで公式サイトやファンサイトを巡るのが日課だった。

夕食前にスレを見ると、ちょうど本スレが1000レスに達し、新しいスレが立てられたところだった。
スレができた最初の方は、その作業をしてくれた人を讃える意味で「>>1乙」(1番目の人おつかれ)と書き込む文化がある。
SHスレではその「>>1乙」をSHの歌詞もじりすることもよく行われていた。今回の新スレも例に漏れずそんなレスが溢れていた。
その中に。

「>>1乙を唇に灯し我等は地平線を渡る」

ドッと心臓が鳴った。

見覚えのあるフレーズだ。
スレを見れば、国歌が発表されたのだと分かった。
流れが速い。公式サイトを確認したいが、基本的にパソコンでしか見れない。こんなの、まさか私の応募した歌詞が? そんなまさか。早く確認したい、まさか、本当に?

そわそわとした気持ちのまま夕食を食べ、逸る気持ちをおさえながらパソコンの前に座る。
公式サイトを開く。

SHK国歌完成の報が確かにあった。
その中に、確かに私が送った歌詞が採用されていた。
そして、採用者として私の名前が挙がっていた。

夢かと思った。
嬉しくて嬉しくて、嬉しかった。
これは、一生付いていかねばと心を固めた。


感謝状

歌詞が採用されて1年半が経った2008年の年末。
「直筆コメント入りの感謝状を送ります」という旨のメールを受信した。

そして翌2009年2月。
高3の私は完全に受験期であった。
そんな神経をすり減らすような日々の中、感謝状が届いた。

そこには、直筆ではないものの、Revoさんのコメントが印刷されていて、確かにサインがあった。
本当に本当に嬉しかった。
家宝だ、と思った。

ただ、その宅配便の手書き送り状は、「愛媛県」を「愛知県」と誤字していたのだった。
愛違いです!!!


箪笥お渡し会

SHK国歌完成以降、何度かラジオ収録などでゲリラ的なサイン会があった話を聞き、地団駄を踏む気持ちだった。
そんな機会があるなら真っ先に歌詞採用のお礼を言いたい。大学に進学して街に出たらそんなチャンスが巡ってくるだろうか。あるいはファンクラブイベントなら。

そんな期待も虚しく、ファン人口が増えるにつれ、サイン会のような催しは到底できないような規模になっていた。
しかし、ファンが増えるのは素直に喜ばしい。ファンレターでもお礼は書いているし、ライブのたびにSHK国歌をうたって胸がいっぱいになるのだから、そんな歌に関われたというだけで、それだけで本当に光栄ではないか。

実際、社会人になって自己肯定感がボロボロになっている中でも、歌詞が採用されたという事実は本当に支えになっていた。
お礼を言うという願いは、とうに諦めていた。

2016年3月20日。
NeinコンサートBDの先行上映会。超デラックス盤(所謂箪笥)の購入者限定イベントである。
そこでRevoさんから直接ミニチュア箪笥キーホルダーを手渡されるうえ、一言会話するタイミングがあると判ったのだ。

こんなチャンスもう無いだろう。
ここで私は積年の悲願、「歌詞採用の感謝を直接伝える」を叶えねばならない。

端的にどう感謝を伝えるべきか考えた。
「採用してもらった」は私の視点であり、採用しようと判断したのはRevoさんだ。その判断にお礼を言うのはちょっと違う気がしてきた。だとしたら、採用してもらったことに感謝を述べるよりは、それを光栄に思っていることに感謝を述べたほうが良いのではないか。

最終的には、
「国歌の冒頭に歌詞を採用いただいたこと、今でも誇りに思っています!」
と言った。
Revoさんは「おっ! 良い歌詞をありがとう」と返してくれた。

8年半。歌詞が採用されて8年半だ。
ようやく直接、感謝を伝えられた。
ずっと追っていて良かった。
ずっと追えていて良かった。
歓びで身体中が満たされた日だった。

その日は泣きながら赤ワインを飲んだ。
酒が弱いにも関わらず、がばがば(当社比)飲めてしまった。
それぐらいに最高の日だった。


そんなSHK国歌制定の思い出たち。
これからも大事にしたい宝物の記憶です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?