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留学を決めたきっかけ

2回目の投稿は会社を辞めてラグビー留学をしようと決めたきっかけを書こうと思います!

まずこの話をする前に自分が働いていたJR九州に入社するまでの話をします。

大学4年生の時の就活時、自分自身ラグビーしたいなとは思っていたものの、特に実績を残していたわけではないので企業側から声がかかることはありませんでした。

なので就活をしている時は
「ラグビーはもういいかな」
なんて思っていて、実際ラグビーをしていく時間よりも社会に出てから仕事する時間の方が長いわけで、仕事するなら警察官になりたい思っていました。
(今考えたらラグビー続けていてよかったと本当に思っています。笑)

ただ地元に帰って仕事することを考えながら就活していくうちにJR九州でラグビーができるかもしれない可能性がでてきてすごく悩んでいました。

ただ、警察官になることも考えていたため試験勉強も進めていたのですが、試験の日が関東大学ラグビーの開幕戦だったのです。
しかも会場は秩父宮ラグビー場。
今後ここで試合することはないかもしれないと考えたらこれまた悩みに悩んでこの時期はすごくナーバスだったのを覚えています。笑

当然、試験を受けるなら秩父宮での開幕戦を諦めないといけないし、開幕戦の試合に出ることを目指すためには警察官を諦めないといけませんでした。

ただ父親が一言、
「秩父宮で試合出てくれよ」
と言いました。

父親がラグビーを見たいだけの理由で自分の将来を決められるのかと考えたら、すごく苛立っていたのを相談した側ながら覚えています。笑

ただやっぱり親に秩父宮でラグビーしてるところを見せたいと思うところがあって開幕戦を目指すことを決めて、警察官は諦めました。

そんなことがあって大学卒業後は地元福岡に戻ってJR九州に就職しました。

働きながらのラグビーは仕事が終わってからの練習だったので、大学の授業終わってから練習する感覚に近かったですが、違うキツさがありました。

仕事しながらラグビーをしていると、職場の方々に勤務手配の協力をしていただくことがあったので、職場の方々の理解を得てラグビーをしているという責任感の重さを感じていました。

けれどもありがたいことに職場の方々は協力していただきつつもよく応援していただいていたので、ラグビーを大学とは違う感じで楽しんでいたと思います。

大学の時も父母やOB会など応援してくれる方々はたくさんいましたが、職場の方々が応援してくれるというのはとても嬉しくて、応援してくれる喜びというのを改めて実感しました。

そんなこんなでラグビーをしているうちに自分の中で手応えを感じていました。

大学1・2年の時は力のなさを感じていたけど少しずつ良くなってきているかなと大学3・4年の時は思い、社会人になってからはそれ以上に良くなってきていると感じていました。

それでも他のすごい選手と比べたらまだまだだというのは分かっていました。

けれどもそれ以上に
「もっと上手くなりたい、もっと強くなりたい、自分がどこまでやれるのかというのを知りたい」
という気持ちが日に日に強くなり、自分が強くなるためにはどうすればいいか考えた結果、

ラグビーの本場のNZでプレーするのが1番だと思い、留学を決意しました。

そこからはチームの監督や職場の上司と話しました。最初はもう一回考えてほしいとは言われました。自分の将来の不安定さを考えて止めてくれたこと、それでも快く受け入れてくれたことは本当にありがたいことだと思いました。

親に話す時は正直反対されると思っていました。
小さい頃からスポーツが不得意だった自分がトップレベルの選手を目指すのは失敗するリスクがあることをわかっていたでしょう。

けれども両親は自分の話をしっかり聞いてくれて、そこまで考えているならと背中押してくれて、本当に嬉しかったです。

こうして会社を辞めて留学することが決まりました。

この時とても悩んでいたのか働いていた時の寮の食堂の方に表情が軽くなったねと言われて、そんなに思い詰めていたのかと気づきました。(考えすぎる性格は相変わらずで本当に治したいです😂)

去年の4月に入社して、その年の11月には辞めることを伝えて、今年の1月末には退職をしました。
今考えると本当にあっという間です。

コロナの影響でやっとシーズンが始まるのでこれから気を引き締めて1日1日、一瞬一瞬を大事に生きていこうと思います!

思った以上に長く、締まりがない記事になってしまいました。笑

最後までお付き合いありがとうございました!
自分のことをもっと知って欲しいので頑張って記事をどんどん投稿します。
ぜひ次回の投稿も見にきてください!

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