RUDAS

RUDO
RUDAS
rudi


Rudo, RUDASは
遊ぶ、遊戯、などを意味するラテン語、
rudiはそれの現代イタリア語。

残念なことに現代社会は、人間性よりも、
人間が便利のために生んだはずの
お金の流れ、つまり経済という怪物が、
人間を支配しかねない勢いで我々の生活を圧迫しはじめ
人々は余裕ある考えというものを、
持ちにくくなってしまっているように見える。
雑誌の世界もインターネットという
見えにくい敵にとりかこまれてしまい
雑誌そのものが売れなくなってしまいつつある。
人々はもはや雑誌を読む体力や、
知力すら失ってしまったのだろうか。
いやそうではあるまい。
それには雑誌の送り手側にも問題があるはずなのだ。
グローバリゼーション経済が生み出した、
マーケティング中心の物づくりそして広告戦略に
世界が冒されてしまったことも、大きな原因であるだろう。
広告に依存しなくては雑誌が成り立たないという、
出版産業の構造がある限り
本当は待ち望まれているはずの、
新しく実験的な雑誌は生まれてこないだろう。
このような時代だからこそ我々は「遊ビタミン」でいっぱいの
雑誌を作ろうと思う
遊びの世界から人間は知能や身体能力を発展せしめてきた。
それこそが文化を生み出し
文明の基礎を作り上げたのではなかったか。
「遊びをせんとや生まれける」
遊ぶ人=ホモルーデンスであることを全うするために
何から始めればよいか
RUDASはそれに対する答を用意しよう

RUDASは人間雑誌


小さな道具たとえば黒文字の爪楊枝や
精密極まりない機械式時計そして対照的に大きな
スポーツカーや旅客機に至るまで
そのすべては人間の創意の賜物である。
RUDASではその物を通じてそれを作った人間たちにも
焦点を当てたく思う。
物の時代を支えてきた人物の
ヒューマンストーリーを掘り下げたい。
あるいは我々を魅了する物を
その原料から見極めてそれがいかに加工されるかを紐解いていく。
極寒のモンゴル平原で買い付けられるベビーカシミアの毛が
イタリアに送られ電子顕微鏡で品質検査を受け
それが毛糸になり、染められ、そして編まれ、
織られて我々の手に届くまでの
物の旅の全てを楽しくドキュメントする。
また凍てついた時期にしか採掘できない
カナダ極北のダイアモンド鉱山での採掘から
カットされジュエリーに使われるまでに
それにかかわるスペシャリスト集団の仕事ぶりにも注目だ。


モノ・サピエンス


モノ・サピエンスとしての人間活動の楽しさを
RUDASは追い求める
価格破壊の掛け声のもと、
1000円を切るジーンズがもてはやらされ
そしてまたどこでだれが泣きながら作っているか分からない
安価なスーツが話題になって久しいが
恐ろしいのはその安値になれた感覚が日常化することだ。
そして我々の命を養う食品までが
工業製品的に作られるのをよしとしなくてはならない
生活感覚の荒廃がおそろしい。
こんなよいものが妥当な価格で見つけられるのかという
指針をRUDASは示そうと試みる。

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