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魏志倭人伝 雑感

素人が、訳文を参考に原文を少しだけ詳しく読みながら、ネット上の情報を確認してみた感想です。今まで気づかなかったことが見えてきました。

  1. 対馬と壱岐らしい島から海峡の南北に穀物を手に入れるための行き来が日常的に行われていたらしい。また帯方郡からの使いが九州に来たり、倭人が帯方郡などに使いを送ることも珍しくなかったらしい。なので、伊都国までの道のりは事前にわかっていたはず。

  2. 中国側が特に興味を持っていたのは、穀物の余剰があるかどうか、人口はどのくらいなのからしい。対馬と壱岐は良田がなく食べるコメにも事欠いている様子が描かれている。伊都国以降は田への言及はないが戸数を記せば事足りたからだろう。いずれにせよ、倭人の世帯数は当時の中国の周辺国では特に多かったらしい。

  3. 伊都国・不弥国・奴国までは博多湾沿いで間違いなさそう。地名として残っていることの他、伊都国の機能(後述)を考えると、他の場所は考えにくい。

  4. 伊都国は海峡の監視・関所のような役割を持つ、女王国内でも重要な構成国。帯方郡からの使いが常にとどまるところであり、諸国を監視する一大卒が治めていることや、使いの荷物を検閲していることから、港に面した場所であり、税関のような機能を持つ場所であったと思われる。

  5. 伊都国を糸島市に比定すると邪馬台国・投馬国の候補地は筑後平野、熊本平野と菊池盆地・八代平野に限られる。邪馬台国が7万戸(28万人)、投馬国が5万戸(20万人)ほどであったとすると、それほどの人口を養うことのできた場所で、糸島市から南方にあたる場所はこの2か所しかない。伊都国の機能が女王国連合にとって重要であったことを考えると、宮崎は遠方すぎて候補から外れ、鹿児島は水田が少ないので候補から外れる。

  6. 侏儒国は種子島であろう。裸国、黒歯国は奄美以南であろう。「又有侏儒國在其南」の「其」を女王国から東に海を渡った倭種の国と考えてしまうと侏儒国に該当するような場所は見当たらなくなってしまう。ここの「其」は女王国を指すと考えれば有明海沿岸あたりから4000里南にあり、身長の低い人たちが住んでいたと記録されている種子島がちょうど当てはまる。

  7. 真珠が採れ・丹を産出し・冬も菜が青い温かい場所である。以前、伊良湖岬にいったとき、植物の様子から気候の違いを感じた。この経験を元に判断すると、冬の最低気温の平均が2度くらいあれば、中国から来た使者は温かいと感じるだろう。福岡市や筑後市あたりでも問題ないようである。

  8. 邪馬台国は、本州や九州東岸の倭人による大陸との交易を妨げたのではなかろうか。そのため、漢代には百か国が訪れていたという倭人の訪問が魏志倭人伝に記されている狗邪韓國から旁国までの30か国に減ったのではなかろうか。その結果、出雲は新羅と直接行き来をすることになり、また女王国と狗奴国との仲も悪くなったのではなかろうか。

  9. 福岡・佐賀・長崎を中心に旁国21か国を比定できれば邪馬台国の位置が確定できそう。前述したように、魏志倭人伝記述を素直に読めば、邪馬台国の場所は、筑後平野から八代平野までのどこかに定まることになる。また、旁国も女王国の連合国であると思われるため、三県の主に米のとれそうな場所を中心に各国を比定していけば、邪馬台国の場所が定まりそうである。

以上、全くの素人ですが、現時点での考えを記しておきたいと思います。コメント歓迎いたします。

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