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素直に生きる、そのための技術について

 何事も素直に生きよう、と思ってから早3年くらいが経つ。

 自分の考える「素直」というものは、相手にそのままの自分を見せることだ。そのままの自分を見せるということは、自分の思考を的確に、相対する人と共有可能な言葉・文脈を用いて言語化して表現することだ。
 例えば
・感謝を感じたときは、すぐにその感謝を表現すること
・好きな人に対して「私はあなたのこういうところが好きです」と表現すること
・会社で成果を出したら、謙ることなく、自分の理解するそのインパクトを表現すること
 みたいに。

 素直であろうとする前は、かなり合理主義の打算的な人間だった。思うことがあっても、後から利用できるような事は心に秘めておくことが多かった。その様子を見ていた周りの人からは、話していて何を考えているか分からないと怖がられていたように思う。

 そんな人間だったこともあり、「素直」を始めた頃は周囲からはしばしばやっかまれた。「この前まで打算的な人間だったのに、調子がいい事言うな」というニュアンスだったように思う。その時期は結構しんどかった。
 それでも、突然変わった僕に「面白いからその恥ずかしい話を聞かせてよ」と笑い飛ばして聞いてくれる人が数人いた。彼、彼女らにはすごく救われたなと、今になって思う。

 そして、3年が経った。3年もやっていると周囲からの目も変わる。
「ああ、あいつの言葉に裏はないな」と思ってもらえるようになった。それでもやっかむ人に対しては、周囲が「まだそんなこと言ってるの笑」と雰囲気で制止してくれるようになった。
 ようやくそのままの「自分」を、世界が赦してくれるようになったのだ。この感覚がすごく嬉しい。素直になってよかったと、心の底から思える。

 先日、久方ぶりの友人と飲んだときに「今のお前は、向こうから全裸でやってきて『武器は持ってませんよ』って両手上げてるような感じだわ笑」という言葉をもらった。なるほど、なかなか的確な表現だと思う。
 後ろに何も持っていないと思ってもらえたなら、相手も素直に話してくれる。素直のスパイラルだ、その会話は気疲れなんてなく、ただただ心地いい。

 そんなこんなで「素直」はいいぞ、という話。

「素直」であるための技術

 素直であることはとてもいい事と思うのだが、素直であるためには技術がいる。そしてそれは、一朝一夕では身につかない技術だ。
 素直であるには、下記3点のプロセスを踏むことになる。
 1:自己の理解・言語化
 2:相対する人と共有する言語・文脈の把握
 3:上記の、言語・文脈を用いた自己表現
 そして、当然ながらこのプロセスをこなすには、その技術が必要となる。
 しかし、これらは「こうやれば身につく!」という手段はなく、泥臭く人と向き合い続けて醸成していくしかないと思う。
 でも、ヒントはある。個人的な発見だが、人と話していて「あれ、自分が伝わっていないな」と思ったときは、必ず3プロセスのどれかが不足している。どれが不足しているかが分かれば、その点に集中し、より深く追求すればいい。これが今の自分が考える「素直」論だ。

 これらのプロセスや、「素直」であることについては以前にもいくつか書いている。これらの論に意見等あれば遠慮なく、素直に批評してほしい。

 こうして考えたことを様々な角度から書いていると、自分は確固たる哲学を築けてきたと感じる。ブレることのない大きな幹から、世界を見ることができてきている。
 この先も、変わることは恐れず、その存在を示すことも恐れず、この樹を大きくしていきたいと思う。

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