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#3【どんな想いでやるかで決まる】

何となく、いい感じがしないのは、なぜなのか。

とても感覚的なことで表現しにくいが、

ボランティアのやらされ感がするのかも知れない。

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というのも、

私が時々見かける学生さんの街頭募金は、

駅の両方の出口前に、
中学生が、
横一列に並び、
近くに先生がいて、

◯い◯◯募金にご協力お願いしまーす。(1人の生徒さん)

〜お願いしまーす〜(みんなで)

これを繰り返し、1人で言う部分が順番で変わっていく。
声をはって、運動部の挨拶のよう…(時代がバレるか⁈^^;)

学校での活動の一貫なのか。

イヤそうに見える生徒さんが多い。
(そう見えるのは私だけなのかもしれないが、、)

だからなのかな〜

なんのためにやっているのか。
その活動を自ら選び、清々しい気持ちで行っているのか。
ボランティア活動が課題だからやっているのか?
もしくは、やらされている感が胸の内にあるか?
中学生でこのような活動をやっているだけ偉いなぁ〜

と、考えながら、通り過ぎた後、
私はあそこで募金箱に幾らかでも入れたら、

私の場合は、自己満足と見栄のようなものを感じて、その想いでするのはいい感じがしないなぁ〜と思ってしまう。

だから、街頭募金はしたことがない。

※私は決して募金をする事を否定していませんよ!
活動を行う人と支援する人の「想い」が大事。
だと、私は思っている、という話です。

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私はケチと思われてもいいが、

何かを選んだり、決めたりする時、

自分自身が「いい気分」で行うことには

力があると思うし、

私はその感覚に信じるようにしているので、

それでいいと思っている。

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東日本大震災後は、毎月少しだけど、
自らの選択で、継続的に支援をしているが、

それを行っているのは、自己満足も少しはあると思うけど、感謝の意味があるからだなぁと思う。

あの震災によって、色々なことに気づくことができたから。

あの時は、老人保健施設というところで働いていて
関東だけど、東北に近く、かなり揺れた。

怖かった。

「復興」という言葉があまり聞かれなくなっても、復興していない場所はかなり多いと聞く。

私は今、生きているし、家族もいるし、
仲間もいるし、仕事もあるし、家もある。

だから、
心から《ありがとう》と思って支援している。

結局は、自分の為なのか⁈

とも思うが、復興というには、ほど遠い状況の被災地はまだまだあるので、

少しづつでも支援をしているんだ、
という満足感は全くなく、

どちらかというと、
何もできないなぁという無力感の方が強い。

きっと一時的に支援(直接も間接も)をする方は
多いと思うが、私は「あの体験」を忘れず、
継続的な支援をする人も必要だなぁと思っているので、これからも続けていくと思う。

人の想いは、「伝える」というより、

中にあるものが「伝わる」という方がしっくりいく。

これからも、どんな風に生きるか。

自分の「生き方」が、

色んな出逢いを生み、

色んな体験をすることにつながっていくと思うと、

ワクワクしかない。

今日はそんなところで。

るぅ先生でした。

写真 https://www.photo-ac.com
紺色らいおんさん

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