お休み期間中にラジオ探究 ①

2022年始まったのも束の間。昨年末に激務が続いた疲れが出て、只今少しだけお休みを頂いてます。新型コロナに掛かった訳ではないですよ。もうすぐ再開できる見込みです。

2020年春も緊急事態宣言などで1ヶ月ほど休業していたのですが、その時と同じようにPCやスマホで国内外のラジオを聴きまくって過ごしています。そこで気付いたこと、付随することなどなどを雑多に書いていきますね。

昨年はラジオもそんなに聴けないぐらい忙しかったのですが、改めてゆったり聴いてみると。日本のラジオは、とにかく喋る。欧米圏のラジオは、とにかく曲掛ける。「喋らないと何も始まらない」、というスタンスの日本のラジオ。「まずは曲を聴いてくれよ、話はそれからだ」、というスタンスの欧米圏のラジオ。知っていたけど、改めてそう思いました。

ところで。TBSラジオの朝から、伊集院光さんがどうも離れるようだと、ネットニュースでバンバン流れてきました。(僕はあまり伊集院さんの番組は聴いたことないけども) そのニュース記事のコメント欄を見て、モヤモヤ。

「AM局ならAM局らしくしろ」「AM局がFM局っぽく振る舞う必要はない」「FMに移行するから伊集院さんなどの大御所を切って行ってるの?」

モヤモヤ。なぜなら、世界的にAM中波のラジオ放送はどんどん縮小していて。やめている国も増えてきましたし、まだ続けている国でも一部のマニアだけが聴くような放送媒体になっているんです。ほとんどがFM放送主体で、デジタルラジオに移行も進んでいます。

率直に言うと、「AMがAMが…」と言っている日本のラジオリスナーも、世界的にラジオシーンを見渡すとかなり遅れている形ですね。

ほとんどの日本以外の国では、その国内でFMが登場した時点でFMにどんどん移行をして行って。自然とAM帯を受信する人の割合が減少して行ってたのです。ところが、日本の場合はなぜか立ち位置としてAM波を優位としている諸々の決まり事を、ずっと長らく変えなかったんです。ゆえに全国各地の老舗民放ラジオ局でFMでも同時放送を始めたのが2015年頃と、めちゃくちゃ遅かったのです。

つまり、日本のラジオ界自体が遅れると、当然リスナーの感覚も遅れる。

僕が思うに、AMとFMは、ただの伝送手段の違いにしか過ぎないと思っています。FMでトークやってもいいし、AMで音楽流してもいいし。FMで落語やってもいいし、AMでライブ中継してもいい。問題はどっちが聞こえやすいか、だけ。だとしたら、ネット配信で聴いても良いわけです。

とかく、私のような(笑)マニアックなラジオリスナーが言うのもナンですが。もっと、全国民が、車だけでなく家でも、楽にラジオに触れられたら良いのにな~と思いますね。「これは直接AM遠距離受信で聴いてください」とか、それに呼応して「radikoなんて甘えだ!」と言うリスナーさんとかね。僕的にはややナンセンスに思えます。

前もツイートしましたが、ラジオを聴くのは修行でも免許制でもないですからね。誰もが聴くメディアであって欲しいですね。最近?「テレビ局を再編しようか?」という話も出てきたので、ラジオをどんどんみんな聴いて欲しいです。あんまりマニアックなリスナーばかりが増えると、自分で自分たちの首を絞めるんじゃないかなぁと。

え?「あなたに言われたくない」って?そりゃそうだよね~(´艸`*)

(結局TOKYO FMのお話できなかった…また今度)



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