ニンテンドー64屈指の名作

昔ほどコンシューマゲームをすることはなくなったけれど、

日曜に実家に帰ったタイミングで、ニンテンドー64を わざわざ今住んでるアパートに持って帰った。

「バンジョーとカズーイの大冒険」という大ハマリしたゲームがやりたくなったのだ。

小学校時代も、高校受験も(現実逃避)、大学受験も(現実逃避)、

支えてくれたのは「バンジョーとカズーイの大冒険」か「ポケモン」である。

情緒の安定とともに、成績を台無しにした愛すべきゲームだ。


「さあ、今日はバンジョーをやるぞ」そう決めたらそれ以外の

雑務をかつてないスピードで終わらせることができた。

今まで怠けていただけだったのか。

そうか、私に足りなかったのはドーパミンを生むタイプのご褒美だったのか。


いそいそとテレビにつなぐ。もはや一秒が惜しい。

ニンテンドースイッチでゼルダやっている彼氏には

携帯版でやっていただくことで押し切って、いざプレイ!

テレビにつないだ時の画素は古き良き時代のものだ。

目がさらに悪くなりそうなのもご愛嬌だ。

アメコミ風のシュールな熊と鳥のギャグも懐かしい。

ふげふげと喋る。かわいい。

それにしても、どうしてここまでハマったのだろう。


考えてみると、

「ギミックが分かりやすく、かつ奥深いところ」と「ステージの世界観」かなと思う。

「何をすべきか」というゲーム内の目的は、「音符を集める」「ジグソーパズルを集める」ほぼこれだけだ。

どのステージも、最大100個の音符と、10個のジグソーパズルを集める。

集めた数に応じて、次のステージに進むことができる。

しかし、集め切るためには様々なギミックをこなしていかなくてはいけない。

沼地を走ったり、空を飛んだり、いろいろなアクションを使う必要がある。

それが、無理のない範囲で奥深い。一つの動作をしたら、もう一つの動作をする必要が出てくる。

シンプルな洞窟の先を進んでいるような気持ちだ。

ジグソーが手に入りそうなところは、敵がちゃんと敵の顔をしていたり

曲が変わったりと、頑張り時も分かりやすい。

「分かりやすい」と「奥深い」は並列できるのだ、と知った。

「複雑」をよく「奥深い」と解釈してしまうが、複雑なだけで内容が浅いゲームもあるのだ。

分かりやすいゲームは、複雑さに脳を使うことなく、プレイ体験に丸ごと集中できるので、意外と熱中しやすいのかもなあと思う。


また「ステージの世界観」もすばらしく、まるで世界旅行に来ているかのような気持ちになる。基本的に、錆びた巨大なサメなど、怖いステージが40%くらいを占めるが、急にのんびりした砂漠やかわいい雪世界が現れたりする。

混沌としている。

「空が飛べる」ことを生かした「世界を縮小したような」ステージ設計になっている。山などが多く高さがあるので、進んで「空を飛ぶ」気になる。

これらのギミックが、十数年前から考えられていたなんて…と思うと感慨深い。

今も時間の無駄と思わず、ストレスの解消としてゲームをしていけたらなあ、と思うのでした。

おしまい

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