ハンドボールと怒り

このnoteを書いているのは7月18日、その翌日19日は私の23歳の誕生日です。
なんとなく節目だなと思って、ここ最近考えていたことを文章にしてみました。

現在わたしは高校ハンドボール部のコーチをしています。
主に下級生の練習やトレーニングマッチを任されているのですが、この年代だと試合中の自分の感情、特に怒りをうまくコントロールできない子がちょくちょくいます。

そういうプレイヤーを「どう指導すべきか」という疑問から、「そもそもハンドボールにおいて怒りってどうすればいいんだっけ?」ということを考えてみました。



怒りが表出するとき

ハンドボールにおいて怒りの感情が表出する、言い換えれば感情的になってしまうとき。
例えば、味方がミスばかりするとき、大事な局面でシュートを外したとき、自分自身が上手くいかないとき、相手から煽られたりしつこく陰でファールされたりしたとき、etc…

これらの経験は皆さんにも思い当たるのではないでしょうか。

日本国内では、スポーツにおいても感情的になることを嫌う傾向にあります。
例えば、相撲では試合に勝ったとしても感情を表出することは許されません。
野球を観戦してるときに、凄く感情的になっている投手がいたらどうでしょうか。きっといいイメージは持ちませんよね。ピッチャーはポーカーフェイスが一流だろと思う人も多いはずです。

しかし、ハンドボールの特性上、上記の場面において怒りが表出することは至極当然のことであり、その感情とうまく付き合っていかねばなりません。


ハンドボールとは「闘争」である

『競争闘争理論 サッカーは「競う」べきか「闘う」べきか?』(footballista、 2022年)の著者である河内一馬は、スポーツを「競争」と「闘争」の2つに分類しました。

競争闘争理論における「競争」とは、「『異なる時間』または『異なる空間』において、その優劣を争うスポーツ競技=ゲームである。そのため、争う者同士は、相手競技者に対して妨害を加えることができない、または許されていない」と定義される。
対して「闘争」は「『同じ時間』かつ『同じ空間』において、その優劣を争うスポーツ競技=ゲームである。そのため、争う者同士は、相手プレイヤーに対して何らかの妨害を加えることができる、または許されている」と定義する。

河内一馬『競争闘争理論 サッカーは「競う」べきか「闘う」べきか?』(footballista、2022年)

また、河内氏は「闘争」を更に「団体」と「個人」、「直接」と「間接」という観点から分類しました。(めちゃくちゃ面白い本なのでぜひ読んでみてください。)

というわけで、上記の定義に従うとハンドボールは「(直接的)団体闘争」に分類されます。

そしてこの「団体闘争」においては、感情の表出というのはコミュニケーションのツールとして非常に重要になってきます。

例えば相手の速攻中にプレイヤーAは位置的には戻り遅れていないが、自分のマークとボールに集中していない(自分のマークにパスが来ると思っていない)という状況があったとします。
相手がパスを狙っていることに気付いたあなたは、Aに伝えなければなりません。このとき、言葉によるコミュニケーションのみでは伝達のスピードが遅く失点してしまいます。
ここで重要になるのが、危険な状況であると伝えるために感情を表出させることです。

同じようなシーンでは、ほとんどのプレイヤーが普段喋るときよりも、大きく、感情的な声や表情で情報を伝えようとするはずです。それが「感情の表出」に他なりません。

このようにハンドボールのようなハイスピードな団体闘争では、伝達のスピードという観点から、「感情」がコミュニケーションのツールとして大きな作用を果たします。

我々は怒りなどの感情を抑えることばかり考えてしまいますが、それと同じくらい、うまく感情を表出させることにも注目しなければなりません。

怒りをぶつけることに伴う罰則

怒りの感情を表出させることのメリットについて触れましたが、そうはいっても試合中に生じた怒りをどこにぶつけたらいいのか ー

キレたテニス選手が試合中にラケットを何度も地面に叩きつけて破壊する動画を見たことがあると思います。
また、サッカー選手が怒りの感情からペットボトルを蹴り飛ばすことは珍しくありません。

どちらも、罰則がないわけではなく、罰金であったり、観客や審判、相手プレイヤ―に危害が及べば失格、試合出場停止など重いペナルティが課せられます。
しかし、逆に言えば相手に危害が及んでいない場合は即レッドカードや失格になることがあまりない状況といえます。

これと同じことをハンドボールでしたらどうでしょうか。
最近の傾向からして、このような行為が審判やTDに見つかった場合、ブルーカードを出されるでしょう。

実際僕はここ1年で、物にあたって即ブルーカードという場面を二度も目撃しました(笑)

今あげた3つのスポーツでは物に当たる行為には共通して罰則がありますが、罰則の重さはそれぞれ違っています。
この差はどこから来るのかについて考えてみました。

空中格闘技ことハンドボール

一般に身体接触の激しい(=ルールで認められている)スポーツであるほど、スポーツマンシップの遵守が強く求められる傾向にあります。

例えば、身体接触の激しいラグビーは「紳士のスポーツ」と呼ばれます。
ノーサイドの精神なんかは有名ですよね。

対して、身体接触がほとんど認められていないバスケはトラッシュトークだったり煽り合いのイメージが他のスポーツと比べても強いと思います。

なぜこのような差があるかというと、身体接触の激しいスポーツでダーティなプレーをしてしまうと取り返しのつかない大怪我に繋がりかねないからだと考えられます。

ではハンドボールはどうなのかというと、空中格闘技なんて別名があるくらいなので、身体接触は激しい方に分類されます。
もし怒りの感情を「暴力」という形に変換してしまったら、大怪我の危険性はかなり高まってしまいます。

このように身体接触の激しさを理由として、スポーツマンシップに則った振る舞いが求められ、暴力的な行為に対しての罰則が他競技と比べて強まっているのだと考えられます。

日常と非日常

スポーツの試合中というのは間違いなく非日常です。
日常で、相手をホールディングしたり、プッシングしたりすれば即通報ですよね(笑)

しかし、スポーツを観戦している人、つまりコートの外にいる人は日常の延長線上にいます。
日常の視点から見れば、試合中であろうと感情的になっている選手に対して、「なんでそんなムキになってんの」と思ってしまうのも無理はないし、物に当たることなんて理解不能です。

コートの中と外は物理的には離れていませんが、全く異質な空間です。
しかし、物理的に離れていないがために聴衆は目の前で行われていることを「日常の視点から」「純度が高い状態で」受け取ってしまいます。

この純度がハンドボールとサッカーの大きく違うところだと思います。

サッカーはピッチが広いので、一つの暴力的な行為に対して純度が高い状態で受け取れる人の割合が少ないです。
つまり大半の人からしたら、見てないうちに行われた、または遠いところで行われた行為なので、ショックは大きくない。

比べてハンドボールはコートが大きくないので、一つの暴力的な行為に対して純度が高い状態で受け取れる人がほとんどです。

このようなコートの広さから来る行為を受け取る純度の違いが、罰則の違いを生み出しているのではないでしょうか。



余談ですが、ハンドボールはコートの外、つまり日常の視点からの見え方を重視してルールの改正が行われる傾向が強い気がします。

接触における罰則の基準が変化したり、よりスピーディーでエキサイティングなゲーム展開を目指して、ボールが変わったり、パッシブの後のパス回数が少なくなったり…
まあそれが競技者にとっていいことかどうかは分からないんですけどね。

おわり

「ハンドボールの試合中に生じた怒り」というテーマで考えたことや、読んだことをなんとなくまとめてみました。

まとまりのない文章になっているような気はしますが、ここまで読んでくれた人はありがとうございました。

23歳もハンドボール漬けの生活していきます(笑)

引用した本です。めちゃくちゃ面白いので是非。
(アフィリエイトじゃないよ!)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?