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#ありがとう富士ゼロックス│富士ゼロックス最後の日に栄光の歴史を思い起こす。

富士ゼロックスという社名が2021年3月31日、つまり本日をもって終了し、富士フイルムビジネスイノベーションへと社名変更される。

1962年の創業以来、国内で最も成功した外資とのジョイントベンチャーとも言われ、栄光の歴史を紡いできた社名が、誰がどう見ても富士フイルムの子会社だとわかるような名前になるのだ。

何を隠そう、僕は新卒で富士ゼロックスに入社をした一人だ。社員番号はfx30173。3万番台と言われ、新世代感を出していたのは別の話。
ちなみに配属部署は旧東京営業事業部NB支店。ゴリゴリの新規開拓営業である。

さて、富士ゼロックスなんて所詮コピー機の会社じゃないか、何を語るべきことがあるのか、と思う人もいるのではないだろうか。

しかし僕は富士ゼロックスという会社ほど共感出来るビジョンと歴史と実績を叩き出してきた会社を知らない。永遠の目標である。

富士ゼロックスの企業理念は退職して5年以上が経った今だってすらすら出てくる。

【知の創造と活用を進める環境の構築】
【世界の相互信頼と文化の発展への貢献】
【一人ひとりの成長の実感と喜びの実現】

特に好きなのは1つ目。知の創造と活用を進める環境の構築。
シビれる。なんてカッコいいんだろうか。

あらゆる企業活動はコミュニケーションと人類の英知が結集して行われ、サービスや財を産み出し世界をより良いものへ進めている。
オフィス環境はその原動力であり、ここがより良いものになることで、世界が良くなる速度ももっと速くなっていく。そんな仕事をしてみたいと思ってこの会社を選んだ。

事実、祖業である普通紙複写機は、PCの登場以前には20世紀最高の発明のとも言われ、実質的な初号機であるXerox914はアメリカ合衆国の一部としてスミソニアン博物館に所蔵されているほど、人々のコミュニケーションの形を大きく変えたものである。
ちなみに社名のXeroxはチェスターカールソンが発明した電子写真技術、Xerography(ゼログラフィ)から来ている。今あるコピー機やレーザープリンターはほぼ100%ゼログラフィ方式だ。

それだけじゃない。同じく20世紀最高の発明であるPCはもちろん、Ethernet、GUIにマウス、オブジェクト指向プログラミング、レーザープリンター、ユビキタスコンピューティング等々Xeroxが産み出したものは枚挙に暇がない。

産み出したのは言わずもがな、あのゼロックスのパロアルト研究所。アラン・ケイを始めとした頭脳が結集した伝説のラボである。

ただ、絶望的に新規事業が下手で、パロアルト研究所がこれだけの発明をしたにも関わらず、コピー機があまりにも儲かりすぎることもあり、取り組んでもすぐ紙の印刷に戻ってしまい、後から出てきたApple達に抜き去られてしまったというのは社員が飲み会で自虐する定番ネタだったりする。

社風も素晴らしい会社だ。

例えば女性の社会参画にも超積極的であった。
そもそも創業の翌年である1963年には女性社員の採用を開始、67年には女性営業職を導入している。
男女雇用機会均等法の施行が1986年であることからも、富士ゼロックスは超先駆的な会社であったと言えよう。

他にも働き方改革、ワークライフバランスなどが取沙汰されて久しいが、この領域にも富士ゼロックスは早くから取り組んでいた。
象徴的なのは1970年(!)の伝説的CMとキャッチコピーである「モーレツからビューティフルへ」のキャンペーンであろう。
モーレツ社員であることが美徳とされ、先の東京オリンピックや万博、高度経済成長へとモーレツにひた走っていた日本人に、物質的な幸せから心身的な幸せへの転換を宣言するメッセージは驚きを持って迎えられた。


CMといえば、今でこそよく見られるティザー広告(断片的な情報だけ伝えて興味を引く広告)についても先進的な取り組みを行っていた。
2005年のApeosのCMはまさにそれだ。

「飛ばんよApeosは、飛ばんよねぇ」って奴ですね。

そう考えると富士ゼロックスは名CMがとても多い。例えばAFRAのボイスパーカッションなんてのは、今でも覚えている。

若かりし頃のクリスティアーノ・ロナウドをCMに起用したこともあった。

個人的にはSolution for you時代のCMは就活中によく流れていたので思い出深かったり。


性善説の経営者、小林陽太郎

経営者だって素晴らしい人がいた。
僕が富士ゼロックスに憧れたもう一つの理由は故小林陽太郎さんの存在だった。
性善説の経営者とも呼ばれた彼は、富士フイルム社長の息子というサラブレッドであり、慶応幼稚舎から慶応育ちで慶応経済を出た後に1950年代にペンシルバニア大学でMBAを取得するなど超エリート街道まっしぐら。
先のモーレツからビューティフルへキャンペーンも彼が仕掛けたものだったし、ギネス記録にもなった、サッカーの富士ゼロックススーパーカップの主催もサッカー好きの陽太郎さんあってのものである。

92年に打ち出した「強い」「やさしい」「面白い」会社を目指す「よい会社構想」は校正にも大きな影響をもたらした。





常にフラットな対話を重んじ、グローバルを見据え、組織を超えて活躍する姿は今思えば、SUNDRED留目さんが言うところのインタープレナーそのものなのだと思う。
外資系企業のトップながら経済同友会の会長も務めた名経営者。
僕は陽太郎さんの伝記を呼んだりはしていたが、残念ながらお会い出来ないまま2015年に亡くなられたが、今でも奥様が富士ゼロックスに顔を出されたりされているそうだ。

業績

業績も素晴らしかった。
そもそもサブスクリプションサービスの先駆けのようなもので、当時効果だったコピー機は買うのではなく、まずレンタルビジネスからスタートした。
そして、使った分だけ保守費用を払うトータルサービス契約を確立。顧客のニーズに応えるだけでなく、盤石なストックビジネスを築き上げた。

ここに富士ゼロックス50周年で全社員に配られた50年史があるが、そこには2012年までの業績の推移が記されている。

激動の昭和から平成に至るまで、一度の赤字を出すこともなくここまで伸び続けてきた会社も珍しいのではないだろうか。お手本のようなエクセレントカンパニーじゃないか。

・・・と言った感じで、とっくに退職した僕だって富士ゼロックスが大好きだ。育ててくれて感謝している。

これは僕だけじゃない。実は5年前に退職エントリを書いたのだが、なんと未だにコメントがつく。しかもOBの人達、中の人達が皆優しい。
そういう会社なんです。

中の人はおおっぴらにゼロックス愛を表現出来なかろうということもあり、OB/OGが集まるアルムナイではタイトルにあるように

#ありがとう富士ゼロックス

を募集しています。各種SNS、ブログで富士ゼロックスへのそれぞれの愛を語っていただければ幸いです。
ありがとう富士ゼロックス。これからも陰ながら応援しています。



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