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おじさん構文はガラケー時代には最先端の恋愛テクニックだった件

数日前、たまたまテレビで見たおじさん構文について呟いてみたら、プチバズった。


特に根拠があって呟いたわけでもないのだが、考えれば考えるほどおじさん構文というものは、ある時代においては最もモテる要素を詰め込んだ構文であったとしか思えなくなったので、ネタとしてここに記しておこう。



俗に言うおじさん構文とは

おじさん構文とは俗にこんな特徴を持っているらしい。

・顔文字・絵文字を多く使用
・何故か語尾にカタカナ
・長文
・聞いていないのに近況報告してくる
・脈絡なく褒める
・余計な一言がある


一番特徴的なのは顔文字、絵文字の多様だが、本当に気持ち悪いとされるおじさん構文には例外なく、長文や近況報告や余計な一言というものがある。
これらが揃ってこそ真のおじさん構文と言えるだろう。

おじさん構文はiモードメール時代の恋愛テクニックに根付いている

ここで冒頭のツイートだが、おじさん構文が1999年から始まったiモードメールの全盛期に最適化された恋愛テクニックだという仮説を基にこういう文章が生まれた理由を類推してみる。

結論ファースト

おじさん構文は、既読機能もSNSも無かった2000年代初頭、メールを一通送ったら最後、相手の様子を一切伺いしれなかった頃に生まれた。
文字数や表現の制限がある中で好意を持つ相手から返信を貰う為に若者たちが編み出した恋愛テクニックを、おじさんが未だに使っているものである。

全ては少しでも「返信率」を上げるため。

メールの返信率を上げる為に、聞かれてもいない近況報告もするし、やたら褒めるし、メールを目立たせる為に絵文字を多用するわけだ。

背景

1.語尾がカタカナ
おじさん構文は語尾にカタカナが多様される傾向にあるが、私はこれは当時のiモードメールの文字数制限から来ているのではないかと考える。
iモードメールの送信可能文字数はmova(2G)の時代には、全角250文字が限界だった。
Twitterの140字を一言のつぶやきとするならば、二言も伝えられない。

限られた文字数で恋愛対象の相手に出来るだけ沢山の言葉を伝えたい。

そう思った彼ら、彼女は語尾を半角カタカナにすることで、少しでも文字数を稼ごうとしたのではないカナ❗
しかもカタカナを使うことによって少し若い感じの雰囲気(当時)が出るではないか。

時は経ち、LINE時代では文字数を気にする必要もなくなり、ガラケーには当たり前にあった入力切替ベースでの半角カナ入力はしづらくなった。そして、語尾にカナを使うという文章形態だけが残った。

2.やたらと多用する絵文字

これも基本的には限られた文字数が生んだ文化なのだと思う。
絵文字は顔文字と違い、1文字のカウントで感情をよりグラフィカルに表現することが出来る。

そしてオシャレな絵文字遣いはモテる男、女の必須スキルのようなものでもあった。

さらに競争相手に勝つ手段でもあった。
モテる子は沢山メールが来るから、メールを目立たせ、熱意を伝えることもとても大事だったのである。


孔雀が求愛行動に派手な羽根を見せつけるのと同じだ。

90年代末〜2000年代初頭にショートメールではなくiモードメールが急速に流行した背景には絵文字の存在が大きかった。
もちろん送受信にかかる料金も安かったのもあるが、絵文字を使えるメールというのは前代未聞。
余談だが、未だに日本で海外で主流の電話番号ベースのMMSが使われないのはこの体験を早期にメールアドレス形式のメールが実現したからでもあると思う。


3.余計な一言、近況報告、長文。
時は経ち、2001年発売の3Gケータイ(FOMA)からはメールの文字数制限が大幅に緩和され、5,000文字制限に変わった。

しかし当時の様々な事情もあり、2000年代初頭はmovaを使っているユーザーが殆どで、FOMAの本格的普及開始は2004年発売の900iシリーズまで待つ必要があった。

私の体感では少し遅れて2006年前後には3Gケータイがau,vodafoneあたりでも主流になってきたかと思う。

これにより、より一層、メールで愛を育んでいく流れが強くなってきた。

ここで問題となるのがメールという媒体の弱点だ。

現代のLINEとは違い、メールに既読機能は無かった。送ったら最後、返信がなくても、そもそも相手がそれを開いたのかどうかすら知る術はない。

とにかく不安だったのである。
ちなみに追い打ちをかけるような追加メールというのは、ウザい行為であるとしてタブーとされていた。


送ったら最後、返信が来るまでは不安で仕方ない。
相手からの返信を心待ちにし、センター問い合わせボタンを連打し、「メール受信中」と画面に表示された瞬間から心拍数が上がるという経験を多くの人がしたと思う。
逆に何日もメールがこなくても、ウザいと思われたくないからもう一度メールをすることも出来なくて悶々とした経験もあっただろう。


もし、返信が来なければ何日も何日もドキドキしながら待つしかない恐怖は今の時代には想像もつかないストレスである。
まして当時mixiもTwitterも存在しなかったのだから、相手が本当に忙しいかどうかもわからなかった。

この不安を解消する一つの方法として重要視されたのが、「いかに返信率をを上げるか?」という文章の書き方である。

この恋愛テクニックの基本中の基本が以下のようなものである。

・出来るだけ多くの話題を散りばめて、返信ポイントを沢山作れ
・熱意を込めて真剣さをアピールしろ!

おわかりだろうか。これがおじさん構文の最も重要なポイントを形作っている。

聞いてもいない近況報告も、やたら相手を心配したり、褒めたりする文章も、それらを入れすぎて結果的に長文となる文章も全て相手に返信してもらう為のテクニックだったのである。


返信があるか、ないか。
それを左右する一通のメールの出来。

これこそが、あのツッコミどころ満載の長文の源である。

今のようなサクサクと進むチャット型のテキストコミュニケーションでは考えられない、メールを送るという行為の重さ。

当時の高校生〜30歳前後の若者がガラケーのメールベースの恋愛に懸けていた頃の無意識のマナー、エチケット、テクニック。
これら全ての結晶が20年後の今、40代~50代が使う、おじさん構文として現代の若者には珍しいものとして取り上げられている。

しかし、彼らはキモいことをするつもりはない。
あなたを落とす為にあの頃の恋愛テクニックを今も律儀に実践しているに過ぎないのだ。

そこをどうかわかってあげてほしい。

僕は別におじさんの味方ではないんだけど。では。

・・・

ちなみに、真のおじさん構文としてキモがられる文章にはもう一つの特徴がある。キモいおじさん特有の年下女性に対する上から目線の態度だ。

「教えてあげるネ❗」
「ちゃんと返信しないと駄目ダヨ💢」

みたいな。おじさん構文は、ただ絵文字を使えばいいってものじゃない。空気の読めなさ、立場のわかってなさが本当の痛さを醸し出す。



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