どんな「きれい」になりたいですか。
宮下奈都さんの『太陽のパスタ、豆のスープ』という小説に出逢った。私の中で忘れられないくらい心に残る作品だった。そんな作品の中に、こんな問いがあった。
「きれい」について考える
もっと、質問しよう。ちゃんと自分のことを知ろう。
化粧をしたらきれいになれるか、高い服を着ればきれいになれるのか。そして、そういうきれいを私はほしいのか。
どうしてだか、この問いが気になって、自分なりに「きれい」を考えた。私はこれから下に書くような「きれい」が欲しいし、でも、ある程度は今の時点でも持っているのだとも思えて、SNSや芸能人できれいな誰かと比較して落ち込む必要はない、と自分に自信を持てた。
「きれい」の定義
まず、「きれい」の意味を調べてみた。
①色や形が華やかである様子
②整っている様子
③よごれや余計なものがない様子
この①②③の「きれい」の意味に対応させて、私なりの「きれい」の定義をしてみる。
①「好き」に囲まれていること
好きな人やものに囲まれ、好きなことをしている
・・・これは私の中の世界はバラ色で華やかという意味で、「きれい」だ。
②取捨選択をできること
限られたキャパシティの中で、好きなものや必要なものを自分の意思で選ぶ
・・・大切なものだけをキャパシティから溢れることなく持っている、乱すものがないという意味で「整っている」、つまり「きれい」だと言えるのではないか。
③余計なプライドやマウントを捨てること
年齢立場関係なくまずは人の話を素直に聞く、聞かれてもいないのに自分を誇示しようと余計な一言を言わない
・・・これも「きれい」だと思う
この「きれい」になら私もなれる
芸能人のような顔面レベルやスタイルにはさすがになれない。それでも私は「きれい」になれると信じてやまない。今だって一年前に比べたら私は「きれい」になった。
①の「好き」に囲まれるのは、ある程度は自分でコントロールできる。職場は就活である程度は選べるし、お部屋を好きなもので飾ってみたり。限られた時間ではあるけれど自分の時間に好きなことをしたり、休みの日に好きな人と会ったり。ああなんて幸せなんだ。自分の世界は華やかだ。こうやって私はどんどん「きれい」になっていく。
②の取捨選択も自分でできる。何を買うのか、何をするのか、何を着るのか、誰と会うのか。社会に出れば全てを自分の思い通りに選べるわけではないけれど、日常生活をよく見れば自分で選べるものはたくさんある。時間や場所、お金といった制約がある中でその時の自分がいいと思ったものを選ぶ。そうして自分を整えていく。こうやって私はまた、どんどん「きれい」になっていく。
③は要するに品性だ。何を言わないか。これはまだまだできてないけど。自分に自信がないと、どこかで自分はすごいやつなんだと人に認められたくって、または自分を上げられない場合に人を一段下に見るようにして、一言余計なことを言っちゃうんだよね。客観的に見ればこういう一言こそマイナスでしかないのにね。人を突き放すことを言っているから、「すごいね」とは思われるかもしれないけど。人と距離ができちゃうなって私は思ってる。
自分で自分にちょっとだけ期待して、できたことを褒めてあげる。自分を「好き」で囲んで満たしてあげる。こうして自分に自信があれば、余計な一言を言うことも少なくなるんだよね。
そう考えると、結局①②③の内容全部繋がってるな。
こうやって私はまたまた、どんどん「きれい」になっていく。
何よりも、こうやって「きれい」になっていくと、誰にでもできるとびっきりの「アクセサリー」である笑顔になれるんだよね。笑顔な時が自分の中で一番きれいだし、かわいい。
私は、こういう「きれい」になりたいんだ。芸能人並みの顔面の美しさには及ばなくっても、心身ともにだいぶきれいだと思うわ。自分が放つ雰囲気もいいだろうし。
もちろん、人間だからいろんなことが起きるし、頭ではわかっててもこんな風になれないこともある。いっぱい間違って、いっぱい失敗する。私は不器用だから、他とのバランスもなかなかうまく取れない。その分学んでパワーアップすればいい。それでもできないことは仕方ないし、足りない部分は一緒にいる人に補ってもらおうって思ってる。