リミッター解除、人生の第二章を始める

この数年間、努力と言える努力をして来なかったんだなと思った。

それに気づいた今日のこの頃、
自分の人生の第二章が始まる、いや、
やっと始められるんだと思って笑いが止まらない。

この数年間、何かを死ぬほど頑張りたかったけど、何も大して頑張れなかった。
頑張る対象はあったはずなのに、頑張りたいものがないと自分に言い訳をしていた。
自分にリミッターをかけていた。


"できない"に向き合い、原因特定。原因を解決するためにとことん努力。

では、何を頑張るのか?

自分に足りないと実感した思考回路、知識、スキルをとことん身につける。

何かをやってみて、それが失敗だったとしたら、そこからがチャンス。

美味しいチャンスでしかないので、失敗から逃げない。ちゃんと向き合う。

向き合い方として、まずは原因をとことん掘る。

何で出来なかったんだろう?何がうまくいかなかったんだろう?

原因がわかったら、解決に向けてとことん学ぶ。情報収集、練習、フィードバックを受けに行く。とことんやる。超やる。

"失敗して悔しい"と思いながら自分に向き合って見つけた原因。それは今の自分にはないけど、"欲しい""知りたい""身につけたい"こと。
自分が望むものだから、それを得ようととことん熱を注げる。リミッターなんてない。

"ありのままの自分でいい"は努力してから言え

"人生の第二章"なんて大層なことを言ったが、やろうとしていることはとてもシンプルだ。

でも、これまではできなかった。
なぜなら、自分がひねくれネガティブだったから。

私は常日頃、"自分のやっていることは間違っていない、無駄じゃない"と思いたくて、誰かに認められたくて仕方がなかった。

"自分"がなかったから。
自分の意見がなく、誰かが"良い"と言っていたらそれが正解と思っていた。一人で主張するのも怖かった。だから、学生時代はわかりやすくテストで良い点数を取りに行くことを頑張ってきたし。みんなが"良い"と思うことは自分からも率先して行動できたくらい。

そうやった後に人から"よくやってるね""すごいね"と言われていつも心が満たされてきた。

逆に人からそういった言葉をもらえないと不安で不安で仕方なかった。何か間違っているのか?自分は変なのか?

欲しい言葉がもらえないと、その裏を深読みしまくっていた。わざわざ口にはされないけど、自分のやってることはダメと思われてるんじゃないか?本当に良かったら褒めてくれるはずなのに、何も言われないということはそこまでは良くなかったのかな?
"満点"を取れるまでネガティブ要素をひたすら潰したく、ずっと"本当はこうなんじゃないか"とあることないこと考えまくっていた。
ひとつひとつネガティブに考えるので、本当にひねくれていたんだと思う。

これだから、本当に辛かった。
辛いから大変なことはしたくない。高い理想を追い求めるともう心がもたないから、平凡に生きよう。

そんな考えを持ちながら、幸せに生きようとした。
ありのままの自分を愛そうと、どんな小さな努力や成長も自分で褒めた。自分の良いところを探した。目の前の些細な幸せを一つ一つありがたく受け取った。自分の人生は自分のものでしかないからと、自分のためだけに時間とお金を使った。自分で自分を楽しくするために一生懸命だった。

そうして、だいぶ"幸せ"になった。"自己肯定感"を上げられた気になった。
目先のひとつひとつのことに対して、自分で自分を認め、色んなことを楽しくできるようになったから。

でも、今度は目の前のことを頑張ろうとした時に、リミッターがかかるようになってしまった。

"ありのままの自分を大切にする"ことの意味を履き違えるようになってしまった。

自分の伸びしろを人から指摘されても"それも自分"と思うだけになり、何の解決のための努力もしないままモヤモヤした感情だけが残るようになった。
結局、自分のことを想って言ってくれた言葉もありがたく受け取れず。"目の前の些細な幸せ"であるはずのものも、ノイズと考えるようになってしまった。

結局、自分のことしか考えていなかったのだ。
自分の意見も何もないのに人からの見られ方をずっと気にして、
"もうこれ以上傷つきたくない"と保身に走っていた。自分が目先の悩みなく快適に過ごせることばかりを考えていた。

しばらくは心の平和が訪れたように思い、全てが快適に思えたが、私の場合は本当の意味で"快適"ではなかった。やっぱり何かを死ぬほど頑張ることが好きで、死ぬほど何かを頑張っている人にはいつでも憧れてきたから。

こんな状態だと、ありのままの自分を愛しきれない。
努力したうえで、自分の"好き""こうしたい"を素直に出す。その時の"ありのまま"こそ自分の個性であり、自分らしさなので、とことん愛せるんだと思う。

"死ぬほど頑張る"ーこれが自分らしさであり、そんな自分こそ愛おしいのだ。もはやこれが自分のキャラなんだ。

第二章は、この"死ぬほど頑張る"に自分のビジョンと意見を加えてみようと思う。
悩んで悩んで"人としてありたい姿""仕事でやり遂げたいこと"が見えてきたので。
もう無防備なまま頑張りはしない。
ビジョン、意見をぶら下げて頑張れば、何でもかんでもに傷つかなくて済むから。

頑張りすぎて肩の力の抜き方がわからない、
真面目すぎる、
頑張りすぎて今度はどこかで壁にぶつかってしまう、

自分でも呆れるけど、これも自分らしさ。
その上でどうするか。
長所短所両面がある"自分らしさ"を背負いながらも、短所として出てしまう部分は悪さが行きすぎないようにコントロールする。

こんな不器用な自分はこれからも人一倍失敗するはず。でもその失敗は自分が成長できるチャンスが詰まった"宝箱"なのだ。成長できるチャンスが人よりも多く待っているんだ。

だから、できないことに向き合ってできるように死ぬほど頑張る。そうするとまたできないことにぶち当たる。もうその繰り返しだ。
でも、ふと後ろを振り返ると成長してるはず。
それがきっと自分でも喜びになるし、人からも認められるし、それで心が満たされるのではないか。
あと、知りたい、欲しい、と思って夢中になって何かをやってる時は本当に楽しいから。それは過去の経験から断言できる。

ちなみに、ここに至るまでの自分があってこその今。第一章の人生も黒歴史ではなく、自分の礎となる歴史。