note!! note!! note!!

僕は、ずっとnoteがやりたかった。

でも僕は、ずっとnoteをやらなかった。

僕が初めてnoteをやりたいと思ったとき、芸人の間でnote(を始めるの)が流行っていたからだ。芸人の間でnoteが流行っていたから、僕はnoteをやりたいと思ったのに、僕は「芸人の間でnoteが流行っているから、あいつはnoteを始めたんだ。」と思われるのがなんか嫌だった。

昔から、長い文章を書くことへの憧れがあった。TwitterもInstagramもスタイリッシュで楽しいが、どこか物足りなさも感じていた。既存のブログに手を出そうにも、僕の過剰な自意識が「何、タレント気取ってんだ?」と語りかけてくるようで気が引けた。憂さを晴らそうと、Twitterに句読点なしで140字の文章を投稿してみたりもしたが、事務所のマネージャーに「気味が悪いです。」と笑われた。そんな中、現れたのがnoteだった。SNS的でありながら、たくさんの文字を垂れ流すことができて、それでいてタレント感もない。note!! note!! note!! viva!! note!!

でも、そのとき既に芸人の間でnoteは流行っていた。僕は「芸人の間でnoteが流行っているから、あいつはnoteを始めたんだ。」と思われるのがやっぱり嫌だった。

そこで僕は、noteが流行り終わるのを待つことにした。noteが流行り終わるのを待って、人々のnoteへの関心がなくなった頃に、こっそりnoteを始めよう。そんなnoteに何の価値があるのかは分からないが、確かに僕はそう思った。僕は、長らく耐えた。耐えて耐えて耐え続けた。途中、Twitterに句読点なしで140字の文章を投稿したりもした。浮わついた気持ちでTwitterにぶつけたこの140字は、人からあまり愛されなかった。その間、芸人たちはこぞってnoteを始め続けた。noteの流行はなかなか終わらなかった。

しかし、あれは行き場のない長文欲をすっかり過疎化してしまったFacebookにでもぶつけてやろうかと悩み始めた先月中旬あたりだったか、永遠のようにも思えたこのあまりにも過酷な耐久レースは、突然終わりを迎えた。

ことの発端は、日頃から大変お世話になっている大好きな先輩であるゾフィーの上田さんがnoteを始めたことにあった。僕は上田さんがどんな文章を書くんだろうとワクワクしながらも「あれ?でも、ちょっとだけ始めるの遅いよね?」と思った。素直にそう思った。そして、上田さんの書く文章を読んでやっぱり面白かったと嬉しくなりながら、改めて「ただ、始めるのはちょい遅かったよね?」と思った。日頃から大変お世話になっている大好きな先輩に抱く感想としては明らかに間違っているが、このときの素直な感覚がnoteを始めることが流行り終わっているのだと僕に知らせてくれた。上田さんが知らせてくれた。もう誰も「芸人の間でnoteが流行っているから、あいつはnoteを始めたんだ。」と思わないんだ。そう安心させてくれた。僕は今こそnoteを始めようと思った。

(ちなみに、この件に関して、上田さんにお礼を言いたいのですが、お礼を言うためには失礼なことを言わなければならないので、まだお礼が言えていません。)

それから約1ヶ月がたった今日、僕は晴れてnoteを始めることとなった。この1ヶ月は、先の出来事で図らずとも生まれてしまった「あれ?でも、ちょっとだけ始めるの遅いよね?」と思われるのではないか?という新たな不安を取り除くために必要な時間だった。今回は「大丈夫大丈夫。」と言い聞かせるだけでいけた。もしかしたら、はじめからこの「大丈夫大丈夫。」でいけたのかもしれない。しかし、noteを始めるまでの苦悩がこれからの素敵なnote生活への糧になると、僕は信じている。とにもかくにも、僕は今日からnoteを始める。最高だ。

僕は、ずっとnoteがやりたかった。

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