君は耐えられるか⁉️ラ行さんの恥の多い人生を綴る

🌟コミュニケーション能力がなくてキツかった人生を振り返ります。キモいので閲覧注意です!しかも長いです!8,000字超えです!🌟
見たことある話もあるかと思いますよ


 本物の人見知りで、会話力も度胸もまっったく無く、銀だこで「たこやき1つ」と言うこともできなかったのが私です。小学校〜中学1年はそれでも楽しく過ごしていたんですが、中学2年で知らない人ばかりのクラスに突っ込まれて馴染めず、自分のせいなのに病み散らかした経験があります。中学2年生、この不吉な文字列から想像できるとおりこの辺から私のコミュ弱人生は始まるのです。
 知らない人だらけのクラスになったにもかかわらず、人見知りなくせにプライドは高いため仲良くしてね〜的に他人に話しかけに行くことができなくて、ラノベ主人公的なあの思想「私は他のやつとは違う。馴れ合いなんか必要ないし…」を早々に会得しました。もちろん皆と仲良くなりたいのですが、話しかけられても愛想なく話すか(イタいのでこれがかっこいいと思ってた)、オタクらしくキョドるかのどちらかでした。ただ、いまだになんで?と思うんですが、1人のコミュ力おばけ隠れオタクガールと仲良くなって楽しい瞬間もあって学校はちゃんと通ってた。
 そして昔から絵に関しては謎の自信があり、中学二年生の私は、休み時間もおう上手いだろ見ていけよとばかりに自由帳をおっ広げて絵を描いていました。もちろん大したレベルではありません。でも、机の上に本気のイラストを描いて、教室掃除係のクラスの子に上手だね!って言われるのが生き甲斐だった。きっつ!クラスの子優し!絵を描いているとたまにクラスの子が遊びに来てくれてはいましたが、自分から誰かに話しかけようとか友達のところへおしゃべりをしに行こうなんて思った瞬間はありませんでした。プライドが高いからそっちから来いよスタンスだったのです。
 私は3DSの黒歴史量産ツール「うごくメモ帳」で絵を描いては載せる日々を過ごしていたのですが、うごメモ界隈の人間がだんだんとTwitterに移動し始め、そのウェーブに乗りTwitterを始めてしまいます。Twitterは増やそうと思えば簡単に友達(相互)が増え、絵を載せるとふぁぼがもらえ、ときにフォロワーが増え、私という存在が認められている気持ちになりました。私の承認欲求を満たしてくれるサイコーのツールであったわけです。現実とは違う居場所を手に入れたことで私にはTwitterがあるしという気持ちがどこかにあり、どんどん現実の人と関わろうという気持ちがなくなっていきました。どんなに仲がいい子でも目を見て話すことができなくなったし、笑わなくなって口数も減った。それに反比例してTwitterはうるさくなり、多くの黒歴史を刻みました。
 あまりにも表情が動かないから、私が爆笑している写真を見たちっこくてかわいい男の子に「ラ行さんってこんなに笑うの!?」と言われたこともありました。たまにグッと突き刺さる無邪気な子供のやつです。また、隣の席になった男の子が無限に話しかけてくるので私は「話すのめんどくさいから話しかけないで」と言い放つなどしました。愛想のなさと言ったら信じられません。その子が嫌なのではなく、口を動かすのがめんどくさかったのです。口を使うと顔が疲れを感じるくらい筋肉を使っていなかったためです。とても反省しています。いつか謝ろうと思ってる。そんないじめられてもおかしくないような私に対してもクラスの子は仲良くしようとしてくれていたので、皆優しい子達だったんだな〜と今では思います…
 そんな優しさに気づくこともできずクラスに馴染めないとこぼすたび、担任の先生に「ラ行は殻にこもってるからいけないんだよ。自分でやぶっていかないと。」と幾度となく言われましたが、それができたら苦労しねーわと内心かなり反発していました。今思えば、まじでその通りです。別にいじめを受けてるわけでもなく自分のせいで馴染めないだけで病んでたのが情けないし、周りからしたらこんな愛想悪くてプライド高いやつにわざわざ仲良くしに行く理由ないからまじ自業自得すぎた。周りの子は優しいのに、毎日提出する連絡帳的なものにクラスに馴染めないと不満をこぼしまくりなので、先生も苦労したことでしょう。おそらく先生から共感する言葉の一つでももらえれば少しは満足したのでしょうが、先生は明らかに充実した学生生活を過ごしてきた風の新任教師だったから、共感もくそもなかったのは仕方ない。

 部活の友達などはそれぞれのクラスをエンジョイしていて、なんで私だけこうなんや…と悩みました。現状を完全に環境のせいにしていた私は周囲への不満しか口に出さなくなり、昔から仲良くしていた友人達も私のあまりの愚痴の多さに話を聞いてくれなくなっていました。友達を見ると嫉妬するし話も聞いてもらえないから会いたくなくて、楽しかった部活も休みがちになり、悲劇のヒロインぶりたくて顧問に大したことない家庭事情の愚痴をこぼして困らせた。きつ〜!いまだに後悔してる!
 これは余談なんですが、もうすぐ修学旅行だなという時期に「コミュ力おばけちゃん(修学旅行の班決める係だった)が班決めのときに”ラ行が私と一緒じゃなかったら修学旅行行かないって言ってた”って泣いてくれてたよ。けどバランス的に2人を一緒にできないから、ラ行と同じ班になりたいって言ってる子の班でいい?」と言われます。コミュ力おばけちゃんには冗談まじりに話したつもりだったのですが、割と深刻に捉えていたようでした。いやなんでそこまでされて一緒にしないんだよと思いつつ、そんな奴がいるならとちょっと嬉しい気持ちで承諾しました。が、蓋を開けてみるとその子というのはそんなことを言うはずがないやんちゃボーイでした。彼とは小学校からの付き合いだったのでそれくらいわかったのです。先生独断の嘘か、ラ行にこう伝えるからねと打ち合わせしたのかどちらかだと思われますが、今だによく覚えている嫌な思い出です。真面目なので修学旅行はちゃんと参加し、ほんの少しガールズと打ち解けましたが、もう学年末テストが近い時期だったので特に意味はありませんでした。
 
 そしてこの頃、米津玄師さんの「WOODEN DOLL」を聴いて頻繁に泣いてました。イタい。ナブナさんのボカロ曲で泣いてたのもこの頃です。イタい。イタいけど素敵な曲達であることには違いありません。なんかつらくて自殺っていう文字もよぎったけど、いやさすがにちょっと人付き合いがうまくいかない程度で自殺はアホくさすぎるだろという冷静な自分もちゃんとおりました。

 多少配慮していただいたのか、3年生では仲が良い子がワラワラ居るクラスになり学校生活は穏やかに過ごしました。が、受験のために通い始めた塾でも相変わらず馴染めていませんでした。そこは別の中学の生徒がほとんどで、うちの中学と比べるとだいぶファンキーな子が多かったです。友達(Qと置く)が先に通っていたのですが、Qは顔が可愛いだけでなくいつもニコニコしておりとても良い子で、周りからとても愛されていました。しかし私は真逆と言ってよいくらいのもので、うちの生徒よりもファンキーな彼らには当然相手にされていませんでした。なんならバカにされてたと思う。その塾は三泊四日ほどの朝から晩まで勉強する夏季合宿があり、もちろん馴染めていない私は行くつもりがなかったのですが、Qがラ行ちゃんがいないと1人になっちゃうよ〜と泣きつくので参加することにしました。行ったはいいものの学習面で得たものは少なく、寂しい思いをするばかりで参加したことを後悔することになります。Qとは同室で授業以外はいつも一緒に居ましたが、ファンキーなガール達にうちらの部屋においでよと呼ばれるのはいつもQだけでした。まあそうだよなと夜は1人で過ごしていました。私とQが一緒にいるところに、ファンキーガール達が「Qちゃん写真撮ろう!ラ行さん荷物持ってもらっていい?」と言ってきたのも良い思い出です。これはなかなか悪意のある感じで悲しかった記憶があります。Qはラ行ちゃんも入る?と気まずそうに声をかけてくれたけど、もちろん断った。Qにたくさん気を使わせて申し訳なかった。
 また合宿の記念にうちわが配られたのですが、裏面が白地になっていて、生徒同士でメッセージを書きあえる仕様でした。ファンキーガール達は楽しげにお互いのうちわを埋めていましたが、私といえばそこに混ざる勇気もなく混ざる資格もないくらいのポジションだったため、私だけうちわを白紙にしたまま帰りのバスに乗りました。うちわの後ろが真っ白なのを隠すようにして集合写真を撮りました。わりと人生の中でも屈指のキツかった4日間です。その後もファンキーガール達は私とQが一緒にいるところにやってきて「ねえQちゃん、なんでラ行さんと一緒にいるの?」とか言ってきたこともありました。その子達と会話したことはほぼなかったと思うのですが、愛想が悪すぎて(普通にファンキーガール相手に緊張して話せなかった)疎まれたんだと思います。しばらくして塾を辞めることにしたのですが、塾長に今の時期に辞めた人でいい結果が出たことはないとか、脅し半分に引き止められたので結局続けました。今思うとなんで辞めた人の受験結果わかるねんという話ですが…まあ志望校は普通に落ちて、塾に結果を報告しに行ったら私の努力不足でしかなかったのに塾長に頭を下げられて気まずかった。

 ここで「いままで自分は多少頭いいんじゃねと思って生きてきたけど、志望校落ちたし私って結構バカじゃね?そしたら本当に絵描けるくらいしか価値なくね?」と思い始め、もともとあった謎の自信はドンドコ無くなっていきました。そして滑り止めの高校に入学して数日の私は焦ります。中学生までは絵を描いているだけで人が寄ってきてくれていたのですが、高校では全く相手にされないのです。(あれ?絵を描いてるだけじゃ友達できないんだ)と、ここでやっとコミュニケーションの重要性に気付きます。それまで絵を描いているだけで誰かしら友達ができていた私にとっては、なかなか受け入れ難い事実でした。とりあえず翌日から人前で絵を描くことをやめますが、すでにグループは出来上がっていたので、後ろの席の同じく友達が居なそうな子とご飯を食べるようになりました。お互い様ですがその子もその子で面白いくらい愛想が悪く、一緒にお弁当を食べているのに「私友達いないから、」と言うような子でした。仲良くなるのにかなりの時間がかかったのは言うまでもありません。
 ここで、美術の選択授業をとったのですが美術部でもなんでもないクラスの子が描いた絵がゴッッッッッッッツ上手かったのです。当時唯一自信を持てるのは絵だけだ!と思っていた私にとってはものすごくショックでした。その子の絵を見た時「わ〜負けた」などと呟いてしまったのがいまだに恥ずかしくて仕方ありません。はっっっず!!!!!負けるも何も私などとは一生相見えることもないだろうというくらいの腕前だったからです。わーわー!!!まじで恥ずかしい!!!!!身の程知らず!!!!!!しかもその子は明るく優しく、頭も良く、運動神経も良く、こんな私にとっても話しかけやすく、かわいらしい子でした。さすがに私が可哀想だろというスペックの持ち主です。「上には上がいる」を身をもって体感し、いよいよ自分の価値や存在意義がわからなくなり、完全に自信を喪失しました。いま振り返ってて気づいたのが私はやたら自分に価値があるかを気にしてたんだなっていうことで、いわゆるアイデンティティっていうのを探してたんだなあ。思春期を地でいく女。
 おまけにクラスの一軍女子が怖く、隣の席で「ラ行ちゃんて(私がいつも一緒にいる友達と比べると)対応違くな〜い?」と丸聞こえの陰口を言われました。まあ、当たり前です。怖そうなクラスメイトといつも一緒にいる友達を並べたら、大大大人見知りのラ行ちゃんの対応が違うのは当たり前なのです。しかし一軍というものは圧倒的コミュ強なのでそんな気持ちは理解できないものなのでしょう。一軍女子達は他の子に対しても聴こえるように悪口を言ったりしていて怖かったので、最早自信の1デシリットルも持ち合わせていない私はとても怯えながら毎日過ごしていました。オドオドキョドキョドオタク女、完成です。なんか言われてたかもだけど、聞こえる言葉全部が自分の悪口な気がしてたから実際のところはわからない。学校だけじゃなくて、電車とかでもずっと周りの人全員に悪口を言われている気がしてた。ストレスのせいか喉の奥にボールがつかえてる感覚がずっとあって、声が出しにくい状態が修了式まで続きました。コミュニケーション力がない自分のせいなんですが(笑)
 この間ずっと一軍女子を含めたクラスの子と仲良くなりたい気持ちはあったのですが、まともな友達は2人だけでした。
 
 進級してからはスタートが1番大事やねん!という心意気を胸に、始業式から愛想良くしっかり人と接することを頑張ろうとしますが、多少愛想が良くなっても会話力は一朝一夕では身に付かず、友達らしい友達は結局3人ほどしか増えませんでした。とはいえありがたいことですね。
 当時しょうもない部活に入って友達(Aとおく)と2人で平和に過ごしていたのですが、新しい子(Bとおく)が入部してきました。Bとは本当に相性が悪く、彼女は初対面からなぜかAだけに話しかけ、Aと私の間に物理的に割り込み、AとBしかわからない話題が続き、歩くときは必ず2-1の構図になるのです。1on1さえままならない私にとって3人グループって本当に難しかった。しかも1年生の頃にも同じようなことがあり、またこれかと大変疲弊しておりました。わりと仲良くなろうと努力したのですがBはAと話すばかりでこっちを見もしないので、その子と会う日は胃がきりきり痛かった。文化祭もBがAを連れ回すせいで1人の時間が多かったから、友達の部活の控室的なところに居座らせてもらった。感謝感謝すぎた。それ以外の時間は窓から吹奏楽部の出し物を見ていたんですが、同じ中学の友達が立派に演奏しているのを見て正直泣きそうになった。充実してるんだろうなと思って寂しかったです。吹奏楽の音を聞くと、文化祭で1人で過ごした時間を思い出していまだにせつない気持ちになっちゃいます。ちなみに1年のときも同じ状況で同じ過ごし方をしてたからまじで虚しかった。
 結局Bとは仲良くなれないまま退部しました。正真正銘しょうもない部活だし、人間関係で…と理由を話したのに顧問にキレられた。なんやねん!
 Aもラ行が辞めるならとそのタイミングで退部しましたが、当時の私はAさえも信じられず実はBと一緒に私の悪口を言っているんじゃないかと思っていました。Aは良い子ですが、人当たりの良い八方美人だったためです。今思えば絶対そんなことないけど、自信のなさが被害妄想を膨らませてた。成績もどんどん落ちて、担任に心配された。その時の担任は優しくて、詳しく事情を聞き出すわけじゃなかったけど、寄り添ってくれてる感じがして感謝感謝すぎた。

 相変わらずクラスの空気が苦手だったから違うクラスに行きたくて、上のクラスに上がるべく2年後半はお昼休みも勉強していました。(成績でクラス分けされてたので、3年次は数人クラスの上下があるくらいでクラス替えがなかった) しかしクラスでは悪目立ちしたらしく、「ラ行さんて真面目ぶってるよね」などほぼ直接言ってるだろレベルの陰口をいただきました。いや君らも真面目に勉強しなよと思ったから、その時はあんまり気にならなかった。でもここまでの出来事を経て、とにかく自分に自信がなくなって(挨拶したり話しかけたりしたらきもいって思われるかな…)みたいな考えがずっとまとわりついてたせいで会話が億劫だった。人の目が見れないのは相変わらずですが、この頃目を瞑って人と話すようになっていました。もはや会話している相手の顔を見るのが怖くて、目を瞑ってしまうんですよ!(ずっとじゃなくて、瞬きと併用するかんじ)たださすがに目瞑るのは不自然だよなと思って、頑張ってなおした。

 多分先生の優しさもあって、進級するときに上のクラスに上がることになった。私も一応勉強を頑張ったので、悪口言ったやつざまあ〜!としばらく小躍りした。私ともう1人しかクラスが変わらなかったからわりとアウェーだったけど、新しいクラスの皆さんがあたたかく迎えてくれたことにえらい感動した。この辺から、自分の将来を意識してまじでコミュニケーションできるようにならないと…と思い始めたのと、周りが優しいおかげで、少〜しずつ人と話すことが怖くなくなりました。深い仲になった子は相変わらず少なかったですが、卒業式が終わったあとクラスの子とちょっと居残りしてアルバムにメッセージを書いてもらったのが凄くうれしかった。相変わらず空白が目立ったけど、あのうちわと比べたら真っ黒くらいのもんだった。受験で大変だったけど3年間の中で1番楽しかった。
 そんな調子だったので高校時代にできた”たまたま会ったら何ターンか会話できる友達”は、おそらく両手に収まります。“気兼ねなく会話できる友達”だと多分片手にもならない。すごいでしょ、高校でちゃんとした友達5人もいないんだよ!まじで当時インスタとかやってなくてよかった、死んでたかもしれない。
 受験期はメインのTwitterアカウントを削除したけど、超縮小したアカウントで同じ受験生の子と繋がってた。やっぱTwitterがないとダメだった。こんな生活の中でなんとかやっていけてたのはまじでTwitterとオタク活動のおかげだと思ってて、参ってた時期も推しカプの尊さと自分が描いた推しカプに貰えた反応の嬉しさとフォロワーとの関わりの楽しさで生きてたし、なんならお陰様で人生が楽しい時期さえあった。結局のところ、絵を描くのが好きでよかった。ついでに話すと、仲良くなったTwitterの相互と頑なに通話しなかったのはコミュニケーション力にまじで自信がなかったからに尽きます。そろそろできるかなあーーーーフォロワーと通話してみたいなあーーー

 大学は合格して、なんだやればできんじゃ〜ん!と若干自信を回復しました。また中学2年から長らく、「友達は量より質」と思うことで友達が少ない自分を納得させていたのですが、あるYouTuberが「友達は量より質と言えるのは、たくさんの人と関わったことがある人だけだと思う。そうじゃないと本当に良い友達がどんな人か分からない」的なことを話しているのを見て、いや確かに‼️まあ友達は大いに越したことないな‼️と思い一念発起、とりあえず色んな人と話してみることを目標にしました。そして変わらずお世話になっているTwitterを通じて新しい環境で初のお友達ができました。その子と話していると人って意外とぱっと見で拒絶しないし、意外と話聞いてくれるし、意外と面白い話しなくても大丈夫だし、会話は意外と考えすぎなくていいんだとか思えるようになりました。
 その子繋がりで知り合いが増えて、だいぶ人並みの会話ができるようになりました。成果としては目を見て話せるようになった!私みたいなキモいのに話しかけられたら嫌かなとか思わなくなった!別に仲良い子じゃなくてもおしゃべりできるようになった!店員さんもえらい苦手だったけどそこそこ話せるようになった!たしかそれまでは会話を続けられる自信がないから自分と似た匂いがする子しか話しかけられなかったんだけど、気にしないで話しかけられるようになった!おかげで高校までの友達とは違うタイプの友達も増えた!なにより人と話すことが楽しいと思えるようになったんですよ〜!これって私にとっては本当にすごいこと!!まじすごい!!!凄すぎる!!!えらい!!!!!なんか意外と受け入れてもらえるんだなって思えてからは今まで表に出せなかった素の感情で話ができるようになったと思うんだ〜〜まだまだ努力の必要アリですが(⌒-⌒; )
 このあいだ部活の後輩ちゃんにこんなに話しやすい先輩はじめて会いました!って言われたのが本当に本当に嬉しくて、踊った。なんか今振り返ってから後輩ちゃんの言葉を思い出したらちょっとじんわりきてる、、、、、いい子、、、、、

 元がこんな感じだったから元来のプライドとかひねくれた感じとかが見え隠れしてることは少なくないと思う!きっとたくさん不快にさせてる!ごめんね!気づいたら日常ツイアカウントになってて絵でつながったフォロワーに申し訳ない気持ちがありつつも、多分私にとって1番いい絵との距離感はこれなんだよなという、、、ごめんフォロワーーー!!いつもしょうもないツイートばっかしてごめーーーーーん!!!!!!!
 
 
 なんかTwitterの存在が危ういと聞いて、私の人生ではTwitterの存在がでかかったなあ〜…しかし、私もわりと頑張ったよなあ〜…と振り返りたくなっただけの黒歴史全晒しノートでした。こんな量の恥ずかしい文章書いたの初めてです。あとで恥ずかしくなったら消します。
 しかし私が5年以上かけてやっと人並みになったコミュニケーション力を生まれた時から備えている人って本当にすごい。そういう人がほとんどだと思うんですがまじでうらやましい。
 もしここまで耐えた人いたら凄い!アリガト!今後ともよろしくネ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?