地域活性は後からついてくるもの(たぶん)

「津田君がやってる地方創生の取り組みに興味持っている人いっぱいいるよ。今度1人会ってあげてよ。」
最近、そんな言葉をかけられ、嬉しさの一方で不思議な違和感を感じた。
「地方創生・・・地域活性化・・・自分はそこに興味があったんだっけ?」
確かに都心から地方地域へ移住し、地方と都心を行き来しながら活動する様は、「地方創生」という枠で語られるのかもしれない。でも自分自身の気持ちや価値観と照らし合わせてみると、どうもしっくりこないのが本音。

僕が長野県富士見町へ移住したのは2015年の5月。
それまでは横浜に住みながら東京都心のメーカー本社へ通う生活だったが、自分自身の今後を考えた時、「このまま会社員として仕事をしていくことはできるけど、10年後自分に何が残るだろう」という漠然とした不安と疑問から、働き方を変えようと考え始めたのがきっかけだった。
これからは会社に所属するのではなく、様々な技能を持った人で構成される複数の「プロジェクト」に所属するようなワークスタイルが普及する。そして技術的な進歩により、「リモートワーク」はより現実的なワークスタイルとして定着するだろう。
その時に自分はどんなライフスタイルを送りたいか?という自問から、もともと好きだった「山に近い場所での生活」と「都市と自然を行き来する生活」を実現しようと思い、八ヶ岳の麓に位置する富士見町に移住。メーカーでの勤務は週の半分だけにしてもらい(給料も半分)、もう半分は富士見町で家族と共に生活をしながら、個人会社Route Designを起業。富士見町と東京の二拠点で活動しながら、地元行政と共にシェアオフィス/コワーキングスペース「富士見 森のオフィス」を立ち上げるプロジェクトに関わることになった。

富士見 森のオフィスのオープンは2015年12月。
大学の元保養所だった木造施設を改装したワークスペースは、数あるコワーキングスペースの中でも見ることのない、木の温もりと開放感に溢れたスペース。館内には広いワークスペースだけでなく、キッチンや食堂、シャワー室を備え、外には庭と森が広がり、中でも外でも仕事をすることができる。
今では八ヶ岳へ移住してきたフリーランスの方や、地元の個人事業主や会社員の方々。そして週末には東京から「環境を変えて仕事したい」という方がわざわざ使いに来てくれることもある。
様々な職種の人が集まり、仕事をしながらご飯を食べたり、たまにお酒を飲んだり外で焚き火をしたり・・・ そんな場所を運営していると、自然と仕事の相談も集まってくる。
地元の農家の方から創業100年の食品会社、精密工業企業、または社会福祉団体など、様々な方がふらりと訪れ、それぞれが持つ困りごとを共有してくれるようになった。
我々はその都度、「誰と組めば解決しそうか?」と、オフィスを利用する人たちの顔を浮かべながら考え、周りを巻き込みながらプロジェクトチームを作っていった。
イベント的なものから商品開発やブランディングなど、去年の1年間だけで生まれたプロジェクトは30以上。ボランタリーなものからお金を生み出すものまで様々な取り組みができ、その都度、関わる人々との間に仕事だけでない交流が生まれている。

都会にとっても里山にとっても、人がこれまでの働き方を変えるきっかけとなるような場所、そして仕事と生活の両面において刺激を与える場になりたい。
そんなビジョンを持ちながら日々運営してきましたが、徐々にそのビジョンが手応えのあるものへ変わってきていることが実感できている。
また、あることにも気づいた。
自分がしていることは地方創生とか地域活性化といったものではなく、人を活性化しているんだということ。そしてその取り組みを通じて、自分自身もまた影響を受け、活性化しているのだということ。
地域の最小単位は人です。どこに住んでいるかは関係なく、出会う人がお互いに刺激を受け、新たな取り組みが生まれる。その取り組み(=プロジェクト)を、僕は仲間と共にデザインしながら、一つ一つ形にしていく。取り組みは毎回違うし、これまで経験したことのない内容ばかり。でも、だからこそ刺激になるし、自分自身にとって新たな将来の可能性に繋がるんだと思う。
そんな機会が、東京ではなく地方地域から生まれているなんて、おもしろいと思いません?

※雑誌『東京人』10月号への寄稿文を一部拡張して書いています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?