Friburguense Atlético Clube
2日目
Nova friburgo ジアン宅からの風景
朝起きて外を見たとき、とんでもないところに来てしまったなというのが第一印象だったと思う。初日はジアン宅に泊めてもらい今日から寮へ移動となったがこの寮がなかなかえげつなかったのだ。
L字に配置されたベットの二人部屋WWW
カーテンカビだらけ(帰国した際には股間にカビが感染していました)
地獄のような寮生活の始まりである。トイレは詰まるし鍵はかからない、シャワーなんてトイレの横で臭くて入れないし…笑
人生初の劣悪な環境。
そんな絶望を感じながらフリブルゲンセACのホームスタジアムへ
ピッチの芝は剛毛いや雑草いや長すぎるwww
いろいろ突っ込みどころ多すぎる。
今思うと40年くらいしか歴史がない割には歴史を感じるスタジアムである。というかボロい
当時100年は歴史あると思ったもんな。
そしてついに憧れていたホペイロにご対面……‥
彼の名はミウチーニョ最初の師匠です
一言で彼を表すならば狂ってる!!!!!!何なんだこの人、カビだらけの寮にクレイジーホペイロ、一体俺は耐えられるのだろうかと急に不安におそわれるのでした。
ブラジルまで来て何も勉強せずに帰るわけにはいかないと気合が入っていたんだと思う。
年齢不詳
嫁なのか彼女なのかわからない写真をさんざん見せられたし。
最後までこの人のポルトガル語だけは聞き取れなかった。
しかしホペイロとして自分が一番大事にしたいと思エル部分を彼は教えてくれたかな。
合流初日にしてカルチャーショックの連続。7年前の自分の気持ちを思い出すのは困難だけど、きっと楽しんでいたのかな。
合流初日の後のミウチーニョ含め選手達と食事?か飲み会笑
3シーズン目頑張りましょうくらい溶け込んでる自分も怖い、、、、
本当にみんな優しくて気さくで壁なんてなくて1日で友達になってしまった。
言葉もしゃべれないのにどうやって溶け込んだのかは思いだせない。アミーゴなんてそんなものか。
特にこの中でジェンチボアな人の話はしていきます。
本当1日1日が濃かったんだな〜
通称マルキー
マッサージスタ?ホペイロ?謎である。ミウチーニョに毎日怒鳴られている。
マッサージしているところを見たことないからホペイロかな。
最近知ったけど3個上だから当時25,6歳でこの腹である。
本当に仕事はしないし常にくっちゃべっている。彼から学んだことは恐るべきことに一つもない。
ジョンリーって俺のこと呼んでいたんだけどブルースリーって言いたかったみたいねwwww
ポルトガル語を話せない西山に無限に話しかけてくるマルキーありがたくもありうざったくもあったな笑
左から川崎さん、ジョウさん、東城さん、ツネイのpai
それから数日後なんと日本人のご一行様が到着したのだ。
そんな話を聞いていなっかたので数日ぶりに話せる日本語に感動。
どうやら日本人選手が合流するらしい。
東城 利哉との出会い
トシのその後の活躍はウィキぺディア参照。
フロンターレユース出身、日本の指導法に早い段階で疑問を持ち海外志向が強く18から海外挑戦をしていたトシ。Jリーグに興味なしとサラっと言い放つ少年に同じ日本人ながらスケールの違いを感じました。
自分とトシは対照的、そりゃ教育法が間反対の親を持っていたのだから。まさに金持ち父さん貧乏父さんである。
親を始め元鹿島選手NHK関係者東城プロジェクトチームの圧倒的サポート。
最初は驚いたけどW
しかし初めて遭遇する金持ちの息子だったがトシは外に出て、当たり前が当たり前でない事に気付き、ハングリー精神の塊だったし、礼儀の知らないブラジル人の中で生活する中で、年上をリスペクトする精神を身につけていた。本当によく助けていただきました。
今でもリスペクトしているし、ずっと応援している選手の一人。
ブラジルテレビデビュー
ブラジルで起こした珍事の中でも一番インパクトある出来事だと思う。
確か何も話せなかったし到着から2〜3週間経った頃、地元テレビ局のスポーツ番組でめちゃめちゃいじられる日本の恥を晒してしまった笑
このテレビのおかげでクスクス町で笑われたのは言うまでもない。
1分5秒〜2分42秒
3分32秒〜終わりまで
今回はこれくらいで
チャオチャオ
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