道を悟った修行僧
2007年のスプリンターズSでアストンマーチャンを勝利に導いた中舘英二騎手の騎乗は、実に見事であった。来ると分かっていても交わせないミルコ・クロコップの左ハイキックのように、中舘騎手が逃げると分かっていても誰も止められなかったのだから、これほど痛快な勝利はないだろう。中舘騎手の顔で逃げ、意地で逃げ切ったようなレースであった。必殺技が決まる瞬間というのは、かくも静かで美しい。
私はヒシアマゾンという1頭の牝馬と出会い、競馬人生が大きく変わったが、中舘騎手もまたヒシアマゾンに競馬人生を変えられた一人であった。
ヒシアマゾンと共に、阪神牝馬S、エリザベス女王杯のG1レースを2勝し、古馬に混じった有馬記念とジャパンカップは2着と好走し、G1以外の重賞でも多くの勝ち星を挙げた。しかし、ヒシアマゾンが強くなればなるほど、鞍上に対する不安の声は大きくなり、後ろから行くレース振りにも批判の声が大きくなっていった。高松宮杯で逃げて惨敗する頃には、ヒシアマゾンの雄大な馬体に対し、中舘騎手の身体の小ささが目立ち始めた。
中舘騎手が逃げを専門として、小回りのローカル競馬場を主戦場として戦うことを決めたのは、ちょうどこの時期からだろう。正確に言うと、ヒシアマゾンが彼の手から離れ、彼女がターフから去ってしまった後である。このまま中央場所で乗り続けて、再びヒシアマゾンのような馬に巡り合うのを待つか、それともローカル競馬場に都落ちしてでも勝つチャンスを求めるか。
中舘騎手は後者の生き方を選んだ。自分を大きく見せるのではなく、小さくても勝って生き残っていくことを選んだ。そこにはしたたかな計算もあっただろうが、それよりもヒシアマゾンという馬に出会い、自らを知ることが出来たことが大きかったのではないか。
ほとんどのジョッキーがゼネラリストを目指す中、中舘騎手はローカル競馬場を主戦場として逃げるスペシャリストとして生きることを決意した。それ以降、コーナーリングの技術が要求される小回りのローカル競馬場で、逃げないと本来の力が出せない精神的に弱い馬や、逃げることに活路を見出さんとする頭打ちの馬たちの手綱を任されることが多くなった。中舘騎手はひたすら逃げる技術を磨き、陽の当たらない競馬場で勝ち星を重ねていった。
「最初の1完歩、2完歩でハミが抜けるかどうかが勝負でした」
2007年スプリンターズSのレース後の中舘騎手のコメントである。スタートしてからガツンとハミをかけて一気に逃げるのではなく、最初の数百メートルはわざとハミを抜いて、馬をリラックスさせる。スタートしてから中舘騎手が大きなアクションで馬を追っている一方で、実はアストンマーチャンのハミは抜けているのである。この大きなアクションによって、他の騎手に“俺が逃げる!”とアピールすることも出来る。無理をしてハナに立ったと思わせつつ最後まで持たせてしまったのは、中舘騎手が地道に築き上げた「逃げの技術」でもあった。
ヒシアマゾンに出会ってから10年以上の年月が過ぎ、スプリンターズSの表彰台に立つ中舘騎手は大人になっていた。かつてマルコメと呼ばれ、小さく丸めた背中でヒシアマゾンに跨っていた面影はもはやなく、生き続けることを選び、己の技術を磨いてきた男の風格すら漂っていた。相変わらず子供のままで大人になれない私には、生き方を決めた中舘騎手はまるで道を悟った修行僧のように見えた。
Photo by Carrot Lunch
「ROUNDERS」は、「競馬は文化であり、スポーツである」をモットーに、世代を超えて読み継がれていくような、普遍的な内容やストーリーを扱った、読み物を中心とした新しい競馬雑誌です。