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福永祐一VSデムーロの対談を読んで(後編)

ミルコ・デムーロ騎手を筆頭とした、外国人ジョッキーへの乗り替わりの急増を受け、日本とイタリアにおけるジョッキーを育成するシステムの違いに話は及ぶ。イタリアでは25の競馬場のうち5つがレベルの高い競馬場であり、見習い騎手はローカル競馬場で乗り始め、上手くなるとメインの競馬場で乗るようになるという。非常に分かりやすい、ピラミッド型の育成システムである。

福永
「日本もイタリアのようにあるべきだと思う。僕は、地方競馬をそういう形で活用するのも1つの方法だと思います。いまのままだと、JRAにいるがゆえに乗るチャンスがない騎手たちがいる。数を乗らないと、巧くなれないですよ。JRAとNARを一緒にして、JRAで勝てないジョッキーがNARに行って乗る。賞金は違うけど騎乗するチャンスが増え、そこで結果を出してJRAに来ればいい。また、ローカルと本場の賞金に格差をつけるのもいいと思います。(中略)そうしたほうが、結果的にはみんなに仕事が与えられるような気がします」

どんな仕事でも量が質に転換するように、騎手の仕事も数を乗らないと巧くなれない。しかも、調教で馬に跨るのではなく、実戦のレースで騎乗することが重要である。同じ素質を持ったジョッキーがいたとしたら、週末の土日2日間だけ騎乗するジョッキーと毎日乗っているジョッキーとでは成長のスピードが圧倒的に違う。もちろん、基本的には土日しか開催がない中央のジョッキーの中でも、土日で2鞍しか乗れないジョッキーと16鞍も乗れるジョッキーでは大きな違いが生まれてしまう。文字通り“乗れる”騎手は、どんどん“乗れる”騎手になってゆく。

福永祐一騎手でさえ、デビュー当初は、「騎乗フォームが悪い」「下手くそ」など、愛情深いが口は悪い先輩ジョッキーたちにボロクソに言われていた。それでも、乗り鞍に恵まれてきたからこそ、少しずつ腕を磨き、ようやく一流ジョッキーの座に上り詰めることができた。それはもう、石を1個1個積み上げるような日々だったに違いない。

しかしながら、福永祐一騎手のようなジョッキーばかりではないのも現実である。ほとんどの騎手は、エリート教育を受けて競馬学校を卒業してきたにもかかわらず、乗り鞍に恵まれず、重賞などまるで縁がない現役時代を過ごし、寂しくターフを去ってゆく。レースに乗ることさえままならないのだから、経験や技術が蓄積されることはなく、逆転ホームランのチャンスも皆無である。磨けば光る素質があったとしても、“乗れない”騎手は、いつまでも“乗れない”騎手のままとなる。

そこにもし地方競馬で乗る機会があればどうだろう。ほとんどのジョッキーは、たとえ賞金が少なくとも、馬に乗りたい一心でムチを片手にどこへでも飛んでいくに違いない。NARの方がJRAよりもレベルが低いということではなく、賞金と騎乗機会の問題の話である。逆に、地方競馬の乗れる騎手は中央競馬に来て乗るべきである。勝率が4割近い競馬場で乗っていてもつまらないだろう。安藤勝己騎手や岩田康誠騎手のように、中央の舞台でで大暴れしてほしい。つまり、JRAとNARの間にある垣根を取り払ってこそ、真の意味での日本の騎手間における競争やそれに伴う成長があるのである。もはや日本の騎手を育成し、救済するにはそれしかない。

もしそれが叶わないとすれば、ジョッキーが最後に個人レベルで出来ることはひとつ。自ら海外の競馬場へと出てゆくことだ。内にチャンスがないと見れば外へ目を向けてみるのだ。ぬるま湯から飛び出し、異文化に身を投げ入れることで、ジョッキーにとって最も大切なハングリー精神が鍛えられるはず。乗ることに対するハングリー。勝つことに対するハングリー。ミルコ・デムーロ騎手しかり、福永祐一騎手しかり、それは一流を極めた騎手に共通する精神なのである。

Photo by K.Miura 

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