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ワスレナグサ

ホゲットミーノットという思い出の牝馬がいる。この名前を聞いてピンと来た人は、かなり昔から競馬を楽しまれている方だろう。英語にすると、forget-me-not。忘れな草のことである。フォゲットミーノットとしたかったが、9文字という馬名制限のため、ちょっと寸詰まりの、それでいて可愛らしい響きの名前になったと思われる。

ホゲットミーノットの出会いは1990年。競馬を始めたばかりの私は、目の前で行われているレースの全てが新鮮で、朝10時前には後楽園ウインズに到着して、1レースからしっかりと競馬を楽しんでいた。そんな中、とあるレースで、全く予想だにしていなかった馬が、想像を絶する後方の位置取りから突っ込んできた。枠連しかなかった当時としては珍しい万馬券であった。

大穴を開けた馬の成績欄を新聞で確認すると、前走は11着、前々走は8着、その前は11着とある。しかも、いずれも勝ち馬から10馬身以上離された大敗。専門家の誰一人として印を打っていない。どこをどう見ても、この馬が好走する理由などなかった。私は途方に暮れて、その馬の名前をふと見てみた。「ホゲットミーノット(私を忘れないで)」。その瞬間、私は彼女のファンなった。

それ以来、1ヶ月に2度のペースで出走を繰り返す彼女に私は賭け続けた。しかし、追い込んで届かずというよりは、後方そのままといったまるで見せ場のないレースばかり。いくら好きになった馬とはいえ、そんなレースを見せ続けられると、人間というもの少しずつ気持ちが薄らいでいく。そうしたある日、ふとした都合で彼女のレースを見逃してしまった。後日、ホゲットミーノットが10番人気で大穴を開けたということを聞いた時、私は自分の想いの弱さにがっかりした。ちょうど私に忘れられた頃、忘れないでという名の彼女はやって来たのだった。

私の大好きな写真家であり、アラスカを旅する冒険家でもあった星野道夫さんの書いた「ワスレナグサ」というエッセイがある。このエッセイを読んだのは、ホゲットミーノットと出会う前だったか後だったか忘れたが、今となっては私の中では同時に連想されるほど密接につながっている。私の拙文の後に引用するには気が引けるほどの名文だが、それでもホゲットミーノットとワスレナグサの想いを共有したいので、ぜひお読みいただきたい。

ワスレナグサは、英語でforget-me-not、このいじらしいほど可憐な花が、荒々しい自然を内包するアラスカの州花であることが嬉しかった。

「アラスカ州の花って知ってる?」

と幾分自慢げに、これまで何人の人に話してきただろう。一瞬の夏、その限られた持ち時間の中で一生懸命開花しようとする極北の花々は、ワスレナグサにかぎらずどれだって美しいのだが…。

もう何年か前、北極海沿岸で過ごしたベースキャンプの近くでもワスレナグサは咲いていた。こんな地の果てで、誰に見られることもなく、淡いブルーの花びらをひっそりと開かせていた。

その時ぼくは、ある自然番組を作りに来たテレビ局のスタッフと一緒だった。が、さまざまな悪条件が重なり、撮影はうまくはかどらず、時間だけがどんどんと過ぎていった。番組を撮ってかえらなければならないという焦る気持ちは、わかり過ぎるぐらいわかっていたが、誰もがそのことで頭がいっぱいで、自然を本当に見てはいないような気がした。ギクシャクとした雰囲気の中で、ある時少し心配になり、ディレクターと2人だけで話すことにした。

これだけ一生懸命やったんだし、相手は自然なんだから、それはしようがないんじゃないかと。たとえば、あと十年とか二十年たった時にふりかえってみて、その番組が少しうまく撮れたとか、撮れなかったなんて、きっとそれほど大した問題ではないと…それよりも1日のうち15分でも30分でもいいから、仕事のことをすべて忘れて、今ここに自分がいて、花が咲いていたり、風が吹いていたり、遥かな北極海のほとりでキャンプしていることをしっかり見ておかないと、こんな場所にはなかなか来れないんだし、すごくもったいない気がすると…風に揺れるワスレナグサもそんなことを語りかけているような気がした。私たちが生きることができるのは、過去でもなく未来でもなく、ただ今しかないのだと。

(中略)

結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。

頬を撫でる極北の風の感触、夏のツンドラの甘い匂い、白夜の淡い光、見過ごしそうな小さなワスレナグサのたたずまい…ふと立ち止まり、少し気持ちを込めて、五感の記憶の中にそんな風景を残してゆきたい。何も生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、大切にしたい。あわただしい、人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。そんなことを、いつの日か、自分の子どもに伝えてゆけるだろうか。
(「旅をする木」より)

ホゲットミーノットは競馬の難しさ、そしてサラブレッドの不思議さを私に教えてくれた。来そうだと思えば全く見せ場なく惨敗し、どう考えても来ないと思えば後方から突っ込んで来る。芝・ダート、長距離・短距離問わず、好走し凡走した。馬券的な相性は全くと言ってよいほど良くなかったが、私は彼女を追っかけたことで、競馬の世界には私たちの手の及ばない神の力のようなものが働いていることを知った。競馬は私たちが頭で考えるよりも、もっと複雑で豊かなのだと。それは諦めではなく、未知の世界に対する希望のようなものであった。

私たちが生きることができるのは、過去でもなく未来でもなく、ただ今しかないのだ。


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