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馬を止めるのも騎手の仕事

2012年の中山金杯にて、断然の1番人気に推されたアドマイヤコスモスが、道中で故障を発生して、大差の16着でゴールインした。第1コーナーまでの入りは完璧だったが、そこから急激に走り方がぎこちなくなり始め、向こう正面では上村洋行騎手が肩ムチを入れるシーンも見られ、その後はズルズルと下がって行った。応援している橋田満厩舎の馬であり、また馬券を買っていたこともあって、初めは驚きと無念を隠せなかった。やはり厳寒期の競馬は恐ろしいと思った。それからしばらくすると、別の感情が湧き起こってきた。

もっと早く止められなかったのだろうか。外から観ていても分かるぐらいに不自然な動きをしていたのだから、もっと早い段階で判断することができなかったのかと。アドマイヤコスモスのこれまでのレース振りを観ても、鞍上の上村騎手と息がピッタリで、流れるように道中を走っていただけに、余計にそう思えた。上村騎手を責めているわけではなく、ジョッキーにとって止め際の判断が難しいことも分かっているつもりだ。それでも、今回は最悪の事態に至らなかったことが唯一の幸いだが、ジョッキーには勇気を持って馬を止めてほしいと思った。

そこで、あるやりとりをフト思い出した。そのやりとりとは、「週刊ギャロップ」誌上で数年前に行われた、横山典弘騎手と四位洋文騎手の対談中の、馬を止めることについてのこんな会話である。かなり長くなってしまうが、とても大切な部分だと思うのでお付き合いいただきたい。

横山
「この前も土曜にアドマイヤカイトを止め、日曜にメイショウオウテを止め、自分の中ではおかしいと思って止めてみる。でも、意外となんともなかったりする。馬運車で運ばれて、診療所で獣医に見せると、なんともないって言う。なんともないって本当かって。その時は止めないで行ったほうがよかったのかって思うけど、2日してやっぱり脚が腫れてきた。そういうのあるからね。オレも若くはないから、いい加減、年食ってくると経験がそういうこと(行かせること)をさせない。経験で出来ないことがいっぱいある。でも、結果を見せなきゃダメ、勝ち負けじゃない結果ね。(脚が)折れるか、ひっくり返るか。そこが一番イヤだ」

四位
「昔、カッちゃん(田中勝春騎手)が馬を止めて騎乗停止になったじゃないですか。あの時、すごい違和感があった。馬がなんともなかったから騎乗停止になったんですよね。でも、ジョッキーって馬の走りを分かっているわけだし、おかしいと思ったら止めてあげるのもジョッキーの仕事。あそこで止めておけば死ななくて済んだのにって思うのいっぱいあるから」

横山
「あるね」

四位
「たしかに止めてなんともなかったら、ファンや関係者は何でって思うかもしれない。でも、ボクは怒られてもいいと思った。ボクはこいつ(馬)の声を聞いたから。ノリちゃんもカイトやオウテの声を聞いたんでしょ。馬の声を聞いている、そういう騎手であり続けたい」

横山
「数勝つのも素晴らしいけど、そういう声を聞けるジョッキーでありたい。言葉を換えると、繊細すぎて情けないかもしれないけど、違うんだって」

四位
「競走馬は細い脚で全力で走るから、故障するのは仕方ないけど、自分らで食い止めることができるんであれば、やっぱりそこで馬の心の声を聞いてあげてね。最後はちゃんと牧場に帰してあげたいよね」

横山
「そうね。仕方のないところもあるかもしれないけど、オレの見える範囲、手の中にいる範囲でそうはさせたくない」
(中略)
四位
「馬を大事にしようってことは、ずっとこの世界にいると麻痺して、そういう感覚がなくなってくる。競馬ではダメでも、そのあと、乗馬や繁殖として大きな可能性があるかもしれないし。最後は牧場に帰してあげたいっていうのはありますよね」

横山
「岡部さんもそうだったけど、四位に教わったな。やっぱり愛情だよ。大事にしていれば、(馬が)助けてくれるんだって。人もそうだと思うよ」

馬をレースの途中で止めることは、ジョッキーにとって非常に勇気の要る行為である。もしどこにも異常が認められなかったとしたら、騎乗停止とまではいかないにしても、巨額のお金が動いている以上、批判は避けられないだろう。八百長を疑われることもあるかもしれない。しかし、そのようなリスクを背負ってでも、やはり止めるべき時には止めるのもジョッキーの仕事だと彼らは主張する。

勝ちたいという人間のエゴが馬を殺してしまうことを、横山典弘騎手はホクトベガに学び、馬に愛情を持って大事にしていれば、いつか馬が助けてくれることがあることも多くの馬たちから教えてもらったのだろう。もちろん、ジョッキーだけではなく、競走馬に携わる全ての人々が、馬の心の声を聞こうとする気持ちを忘れないことが大切である。

そして、当たり前のことではあるが、私たち競馬ファンも、自分が買った馬がレースの途中で止められても仕方ないだけの馬券を買うべきである。そもそも私たちは、運という最も理不尽で不平等で矛盾したものに身を委ねて馬券を買っている以上、いかなる理由であろうとも、自分の買った馬券が紙くずになることを前提に私たちは賭けなければならない。

だからこそ、ジョッキーには遠慮することなく馬を止めてもらいたい。

そうすれば、馬券が外れる以外の、悲しい出来事は少なくなるはずだから。





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