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幻の光

ダービー馬となったウオッカ陣営が宝塚記念に登録をしたことには、正直驚かされた。秋の凱旋門賞を目標にしているにもかかわらず、休養に入らずに、古馬との対決を選択したことに対してではない。そうではなく、ダービーからわずか2週間ほどしか経っていないにもかかわらず、宝塚記念に出走する意欲を陣営が見せられるほど、ウオッカの体調が回復していることに対してである。

ダービーであれだけの激走をすれば、並みのダービー馬であれば(変な言い方だが)、ようやくまともに歩けるようになったぐらいの回復しか望めないはずである。それだけ、ダービーという頂点を極めるレースを勝つことの、肉体的、精神的な負担は大きい。ダービーを勝ったことによる反動で、大きく調子を崩してしまう馬もいるし、またそのキャリア自体を失ってしまう馬もいるのだ。

そんな中で、もしウオッカが無事に能力を発揮できると判断されたのであれば、宝塚記念に出走するのも悪くはない。そちらの方が誰にとってもワクワクするのは確かだし、そういうチャレンジ精神があったからこそウオッカはダービー馬になった。しかしもちろん、何度でも言うが、無事に能力を発揮できると判断されたのであればという前提である。

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トキノミノルというダービー馬がいる。皐月賞とダービーをレコードで圧勝し、10戦10勝の戦績でダービー馬となったが、その17日後に破傷風を発症して死亡してしまった。実はトキノミノルは慢性の膝の疾患に加え、裂蹄の持病も抱えていたそうだ。満足に調教を施せなかっただけではなく、爪と蹄鉄の間にフェルトを挟んで出走したほどであった。ダービーを走ったその時には、既に破傷風にその体を犯されていたという。

「初出走以来10戦10勝、目指すダービーに勝って忽然と死んでいったが、あれはダービーを取るために生まれてきた幻の馬だ」と作家の吉屋信子がトキノミノルに寄せた追悼文は有名である。以来、「幻の馬」という肩書きはトキノミノルだけのものである。

「人間は、精が抜けると、死にとうなるんじゃけ」

はれ、また光りだした。風とお日さんの混ざり具合で、突然あんなふうに海の一角が光始めるんや。ひょっとしたらあんたも、あの夜、レールの彼方に、あれとよく似た光を見てたのかも知れへん。

じっと視線を注いでいると、さざ波の光と一緒に、ここちよい音まで聞こえてくる気がします。もうそこだけ海ではない、この世のものではない優しい平穏な一角のように思えて、ふらふらと歩み寄って行きとうなる。そやけど、荒れ狂う曽々木の海の本性を一度でもみたことのある人は、そのさざ波が、暗く冷たい深海の入り口であることに気づいて、我に返るに違いありません。
「幻の光」宮本輝 より

私たちは誰でも、幻の光を見てしまうことがある。死への誘い(いざない)ということだけではなく、たとえようもなく美しいものを見て、ふらふらと歩みよって行きたくなる誘惑に駆られることがある。そこで我に返るかどうかは私たちにかかっているが、しかしまた、こちらに返ってこなかった人間を私たちは責めることができようか。谷水オーナー、角居調教師、そしてウオッカが見る光が、幻の光でないことを切に願う。

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