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生きていく

夢をみた。
缶コーヒーの飲み口を見つめていたら自分が煙みたいな存在に変化して、するすると缶の中へ吸い込まれていく夢をみた。ブラックコーヒーだった。
吸い込まれていくというより、落ちていくに近い感覚だった。落ちた先は、完全な、真っ暗闇だった。
その中で私は心地良い呼吸をしていた。コーヒーはまだたっぷり入っていたから、落ちたのが缶の中であれば水中のはずだった。それでも呼吸はできた。春の日に、太陽が上りきってから目覚めたような暖かさ(温かさ?)が肌になじむ。私はゆっくり呼吸を続けた。深呼吸ではなくて、自然な呼吸だった。落ち着く。私は暗闇が好きだ。
でもここは完全な真っ暗闇だから、自分が果たして目を閉じているのか、開けているのか、もがいているのか、手足が存在しているのかすらも分からなかった。ただそこにいた。耳(があれば)に届くのはぼんやりとしていて一定の低い音程の何かで、物音らしき音は聞こえない。

幕が閉じる。
閉じたのが目なのか何かは分からない。でもそこはいっさい閉じた。次に私がいるのは、さきほどと似た完全なる暗闇。何も見えず、何も聞こえない。でも場所が違う。じめっとしていて生ぬるい温度、ときどき、すぅ、と冷風が通る。音はまったく聞こえない。何もない。私はなぜか心細くなる。自分という存在が存在せず、置き去りにされたような恐怖がとりつく。何も見えないはずだけど、ときどき目の前にちらりと岩肌が映る気がする。崖?でもそれは遠く、ものすごく高いところにあった。
ふむ、あれはたしか高校の卒業旅行のとき。私は自分の記憶をたどる。私は一度、完全な暗闇へ行ったことがある。現実世界で。
声がこだまする。水滴の音がする。光が揺れる。私は懐中電灯を落とさないよう、注意深く手首にストラップを巻きなおして握りしめ、友人のあとを着いていく。ここでいったん止まりましょう、と大人が言う。ただ広くて暗い。がやがやと、生徒たちの声がこだまする。
がま、と呼ばれる洞窟の中だった。沖縄県糸満市。そこは1945年4月、第二次世界大戦、日本で唯一市民を巻き込んだ地上戦争が行われた土地だった。私たちは平和学習をしていた。
鉄の暴風と呼ばれる爆撃から、おそろしい米兵から、逃げ隠れるために洞窟を使ったんです、と大人が言う。当時、懐中電灯なんかはありません。灯油を節約するために、ふだんは何もつけずに過ごしたそうですよ。それではみなさん、と大人は言う。電気を消して、暗闇を体験してみましょう。

私はなにやら縁がありその3年後、もう一度沖縄を訪れた。地上戦に至る経緯や本土復帰までの歴史なんかをはっきりと知った。日本唯一の地上戦で、市民を含む約20万人が亡くなった。

暗闇からあけた時、防空壕にいた彼らを襲ったのは生命を脅かされるほどの恐怖だったそうだ。

ーー

夜が明ける。

私は目を覚まし、布団の温かさを感じる。傷ひとつないつるつるの手のひらで、満腹のお腹で、ブルーライトで視力が落ちた私は、ぼんやりと明るい天井を見つめながら頭を働かせる。
知る限り、当時の沖縄を知る親族はいないが、片方の祖父母は関東に、もう片方の祖父は満州に、祖母は九州にいた。おそらく彼らはまだ10歳前後だったろうと思うが、そこにいて、時代の変遷をみていた。そして夢をみていた。私は鮮明に思う。彼らから受け継がれた命を思う。

平凡な毎日だ。朝起きて、ご飯を食べて、仕事をこなし、夜が来て、眠る。
過去も未来も明日も明後日も知らないが、健康な体で、頭で、瞬間を手のひらにのせ、自分の意思で選択できる今を思う。そして、喉から手が出るほど、この"へいわ"な今が欲しかったであろう少年少女を想う。


さて、つぎまた暗闇の中に落ちるとき、手のひらに今があるのなら。きっと私はまた、このつるつるの手のひらを見、爪を膝を、りょうの足を見つめるだろう(見えなくとも)。感じ、音を聞くだろう(感じられず、聞こえずとも)。血は絶えず、この体に流れている。

私は暗闇が好きだ。ゆっくりと呼吸を繰り返す。そしてまた朝がくる。

私はだから、暗闇を従えて生きている。

暗闇とともに、生きていく。




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