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晩ご飯

小雨が降る中、開店前からお店に並んで、豆腐カツを食べに行った。
「おとーさんまだー?」って、店が開くのを待ちきれない子どもたちの声で、入口はがやがやとしていた。

カツ丼と豆腐カツが有名なお店だった。看板にでかでかと書いてある。なんだか珍しいなと思ったので豆腐カツを選び、席につくなり注文をした。

頭よりも大きいんじゃないかってくらいのお鍋が、テーブルに置かれた。わくわくする。

蓋をあけたらほっかほっかと湯気が上って、だしのいい匂いがした。卵の白身と黄身が混ざりあってじゅわっと泡立つ。サクサクのころもの中に、真っ白いお豆腐と、ひき肉がのぞいていた。

とりわけ皿があったので、なんとなく従って一切れ取り分けてみたけど、やっぱ白米に乗せて、だし汁を浸らせるのがいいよね。次は漬け物、あとみそ汁。ご飯てこんなに楽しかったっけ。夢中になって食べた。

並んで食べた豆腐カツは、おいしかった。食べ終わった後にため息が出るほどおいしかった。「ありがとうございました〜」って大声で見送ってくれる威勢のいい店員さんに、「ごちそうさまでした〜〜!」って大声で返して、店を出た。まだ18時前で、空はぼんやりと明るい。腹を空かせた人々が傘を手に、列をなしていた。

お店で得た体験や感動を、あたたかい手のひらでほわっと、おにぎりを握るみたいにして包んで愛でながら歩く。ここ最近で、一番しあわせだと思った。心なしか、脳も、足取りもふわふわしていた。

久しぶりにお肉を食べたから、並んだ甲斐があったからか、店員さんの元気が良かったからか。もちろんそれらの要素はたくさんあったけど。

私は一人だった。

「他人の顔を気にしてしまうんだよな」
帰り道を歩きながら考えていて、ぽろっと声に出してみた。嬉しいとき、美味しいものを食べたとき、楽しかったとき。その感情はたしかに本物だけど、それがちゃんと、一緒にいる人に伝わるように、表現してしまうんだよな。

たまにはいいもんだなぁ。目の前の体験を独り占めして、一人で思う存分噛み締める。

「何食べたいー?」目の前を歩く親子が、夕飯を決めかねている。
豆腐カツをおすすめしたい気持ちを腹に、親子を追い抜かす。

もう雨が止んでいる。上の方で風が吹いて、雲が飛んでいく。空がだんだん暗くなっていく。
そうだね、今夜は星が見えるかもしれない。


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