見出し画像

ロウドウジンVol.3 巻頭言

2011年11月3日発行 ロウドウジンVol.3 所収

 お久しぶりです。反社会人サークルです。最近は「反社会人」というタームの有用性もとい汎用性が高くなりすぎて、正直なところ、手に余らせがちになっていますが、みなさまお元気だったでしょうか? 「震災」をテーマにお届けした前号の評判も上々で、反社会人サークル一同、感謝感激雨霰(死語)でございます。某批評家は「震災でぼくたちはバラバラになってしまった」などとおっしゃっているそうですが、逆説的に底抜けにポジティブなわれわれの主義主張が伝わっていれば大変幸せです。論理は少々「雑」でしたが(笑)。

 今夏は震災起因の原発影響による総電量規制なるものに踊らされた「熱い」夏だったことと思います。そんな汗まみれの日々の中でロウドウに励んでいると、震災の記憶がだんだんと薄れてきているひとも少なくないはずです。それもそうです。なんといってもあれからもう8ヶ月も経つのですから。しかし放射能のことだけは、いまだにマスコミでも大きく取り上げられています。こういう言い方はあまり良くないですが、震災は一過性であり、そこから生まれた放射能には継続性・持続性があるのです。……半減期という名の。

 チェルノブイリで被曝したナターシャ・グジーというウクライナ出身の歌手が「人間は忘れることによって悲劇を繰り返す」と言っています。一方、フランスの作家アルマン・サラクルーは「人間は判断力の欠如によって結婚し、忍耐力の欠如によって離婚し、記憶力の欠如によって再婚する」と言っています。良くも悪くも共通するのは「人間は忘れる生き物である」という点です。これが今号の特集「死」においても重要なポイントになっています。

 2011年10月に世田谷区弦巻で高放射線が観測され、調査の結果、隣接する民家の床下から放射性物質であるラジウム226を含む蛍光塗料が大量に発見されたという事件がありました。根本原因はいまだ不明ですが、これも忘却のなせる技といえるでしょう。「臭いものに蓋をする」ということわざがありますが、やはりそれは本質的ではないのです。

 今号のテーマは確かに重いです。やれ社畜だ、やれロウドウジンだと言っていますが、その背後にはワーキングプアや過労死をはじめとする現代日本の労働環境における諸問題が横たわっているのは承知のうえです。それでもわたしたちが「反社会人サークル」というサークル名を掲げてこのような冊子を作っているわけですから、そこにも何らかの形で斬り込んでいく必要があると感じています。もちろん、反社会人サークルでしかできないやり方で。

 とまあ、少し堅苦しい話になってしまいましたが、基本的なスタンスは何も変わっていません。こういうところで震災なんかじゃ何も変わらない人間の根源的なタフさを示せれば良いかな、とちょっと格好つけてみました(笑)。これがみなさまの反社会人ライフの一助になることを願っております。にこにこ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?