上手くなりたいものがあること

和装の着付が出来る人になりたくて学校に通っている。普段着の小紋や紬から始め、留袖を経て振袖まできた。今、肌着から帯結びまで15分で着付ける試験に挑もうとしている。仕上がりや手さばきの美しさ、着付師としての振る舞いや身だしなみまで採点される最終試験である。しかし、丁寧に着付けようとするとどうしても20分は欲しい。合格率は10パーセント以下。難関である。

上手くできれば楽しいけど、調子がのらなくて全くダメな時は、ネガティブな気持ちになる。「これやってて意味あるのかな、いまどき和装など求められてないのに」と。好きではじめたことなのに、いつしか試験にパスするだけの苦労になってきている。和装に関することが楽しくなくなってしまった。

でも、上手くなりたいものがあるのは幸せなのかもしれないな、と気づいた。こちらが上手くなればあちらのアラが気になりといった、毎回毎回、課題が見つかる。それを一個一個潰してできるように練習する繰り返し。途中の道のりは辛くて先が見えないけど、少なくとも歩いている。進んでいる。

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