待っててくれる

例えば、映画の中のあの子の瞳、泣きながら聴いた曲、教科書で読んだおはなし。時が経つにつれて記憶の曇りガラスに紛れてしまうけど、後年、ふいに再会して懐かしくなることがある。

特に読んだ本、わけても紙の本は、そのしっかりした物理的な重さのせいか、まさに「待っててくれた」、という印象だ。そこが電子書籍と違う。書籍という名の、つまり「データ」には、どうも重みを感じられないのだ。

私は本に対して、どこか自分と同じような人格を持つものとして接しているのかもしれない。出会ったり忘れたり、ふと再会したりという、人間関係には良くある偶然の流れを本という存在にも投影しているのだろう。だからこそ、「待っててくれた」ことに重みを感じるのだろう。

モノのスペースと収納の上限を決めてある。なににつけ、それ以上は持たないことにしている。本も同じだ。出会ったならば愛おしむ。離れても、縁があればまた会える。

待っててくれるのを信じている。


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