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外国生まれ育ちの日本人。私はどこに行っても「外人」

一週間分の荷物と現金20万円とギターを一本握りしめたオーストラリア生まれ育ちの日本人。日本でライブをやりたい20歳のロットンは成田空港に到着した。

空港に降りった瞬間日本独自の香りと独特な機械のようなアナウンス、少し怒りっぽいサラリーマンが乱暴にキャリーを引きずりながら電話で話している姿、売店を見ればパーフェクトなお辞儀をする女性店員さんを見て、瞳孔が開いた。

おおおお!!!!!ここが日本かーーーー!!!!やっと日本来たぜ!!!!!!!

オーストラリアで生まれ育ち、日本は本当に憧れの国だった。今のオーストラリアはいろんな人種がいる国だが、当時私が幼い頃アジア人がほとんどいなかった。とても珍しかった。白人ばかりの小学校でアジア人は私くらいしかいなかった。クラスの醜いアヒルだった。人種差別がひどく、酷くイジメられていた。

肌の色、髪の色、目の色が違うからという理由で凄く辛い思いをした。「いつか同じ肌の色、髪の色、目の色が同じ人がいる場所、日本に行きたい」と心底思っていた。

授業で世界地図に日本を見るたびに「本当にあるのか」とジブリ映画でいう天空の城ラピュタ的な存在だった。

そして20歳になり美大を卒業し、私は長年住んでいたきたオーストラリアからBダッシュした。

やっと日本に来れたわ。
空港に降りた瞬間は本当に本当に嬉しかった。

日本に来たばかりの頃はホームレスだった。ネットで出会った方の家に寝泊まりをしたり、たまに公園で寝たりなどという日々を過ごした。(本当にいろんな方にお世話になりました!!!!特に倉田さん、エミ、協力してくれたみんな有難う!!!!)

ある日ネットで出会った女友達の家に泊まってたら「ロットンに紹介したい人が今日来るよ!待ってて!」と言われ、めちゃくちゃ唾を飲みながら緊張しながら正座で待っていた。ガチャっと扉が開きとても小柄でラフな姿な女性が現れた。

「ロットンちゃんと同じ年齢だよ。」と友達が柔らかい口調で紹介してくれた。私は同じ年ということに嬉しく感じて。「もし日本で生まれ育っていたら同級生の可能性あり!!!!!!仲良くしたい!!!!!」と興奮した。

凄くテンションが上がってしまい、たくさん一方的に話した。「私が生まれた国は〜!!!!!日本って凄く魅力的で憧れてた〜〜〜〜!!!!!ここに来れて良かった〜〜〜〜!!!あなたに会えて良かった〜〜〜〜!!!!!!!!!!!」と熱く語った。

そしたら彼女はこう言った。

「はっ?お前うざいんだよ。日本人のくせに日本語もまともに喋れないし、外国の自慢ばっかしやがって。本当にうざい。この外人かぶれめ」と言われた。

喉の奥が凄く熱くなり、涙が出ないように目をずっと開けていた。

日本に行けば、日本人になれると思ったのに。

その考えはどうやらとても甘かった。「私はどこに行っても外人なんだ。」ということに現実に気づいた。なんて報われないのだろう、孤独です。え、こんな虚無あるんですか?

それ以降よっぽどじゃない限り、帰国子女ということを隠そうとした。凄く頑張って日本語を勉強した。めちゃくちゃ勉強した。

どんなに勉強しても、日本に住んでも、いまだにどんだけ頑張っても「お前は帰国子女だからムカつく」と言われる。たまに凄く辛くなる。けど生まれてきた国、時代、親、環境、肌の色、髪の色、目の色を選べるやつなんていないだろう。私も好き好んで外国で日本人として生まれたわけではない。みんな一緒だから外国で生まれ育った日本人として胸を張っていこうと思った。

生まれ育った環境は自分のアイデンティティを構成する大事な要素だけど、それを言い訳にしちゃったり怯んでしまうのはダメだなと思った。だから私はどこに行っても「外人」かもしれないが、どこに行っても私は私だから全部大事にしていきたいと思う。国境や境界線を乗り越えて自分であることに自信を持って生きようと思う。


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