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シュレーディンガーの猫耳メイドカフェ

 電子工作の部品を購入する為に秋葉原に来た。「来た」という表現をしたのだから、私自身は既に秋葉原に到着している。到着するということは、目的の地点に辿り着くことを意味する。するのだ。辞書で調べたから本当だぞ。果たして私はこれからの人生で何度到着すればいいのだろうか。
 電子工作の部品を購入する為に秋葉原に来た。部品と言うからには何らかの機構の一部であるのだろう。私が作ろうとしている物は、LEDの発光を制御する回路である。完成するとLEDがピカピカ光る。光るのだ。光るのだから仕方ない。かと言って、それ単体では何の役にも立たない。ということはつまり、私はこれから購入するであろう"部品"を用い、何らかの機構の一部となるべき"部品"を工作する。海老で海老を釣るような話だとは思わないか?それはそうと甲殻類は痛覚を持つため、人道的な調理方法が求められる。人道的な調理方法とは?求められるのだから仕方ない。

 さて話は逸れたが(最初から話が逸れている場合このような表現が正しいかは疑問だ)私は今、店の前にいる。看板には「シュレーディンガーの猫耳カフェ」と書いてある。非常に興味深い。
 この店舗の中には
1.猫耳を付けたメイド
2.一定時間内に50%の確率で崩壊する放射性原子
3.原子の崩壊を検出すると青酸ガスを出す装置

があるのであろうか。とても怖い。あと労働基準法が気になるところである。そして、中にいる猫耳メイドは(メイドが居ればの話だが)生きている状態と死んでいる状態が1:1で重なり合っている。怖いなぁ。やめてくれ。

 私が何に悩んでいるのかと言うと、この店に入店するか否かである。仮にこの店舗がシュレーディンガーの思考実験を再現しているものだとすれば、私は入店するべきではない。あれは思考実験だからこそ意義があり、箱の中身を見てしまえば50%ずつの結果が残るだけだ。
 また私が入店することにより、二重スリット実験のような結果をもたらす可能性もある。二重スリット実験については私もよく知らないので説明は省略する。とにかく店には入るべきではないのだ。
 しかし、しかしだ、猫耳のメイドというものは素晴らしいと思う。猫耳を付けたメイドさんに是非、ご主人様として扱っていただきたい。正直なところ、この店を見つけてからというもの、電子工作の部品のことを忘れてしまっていた自分がいる。そういうことが人生にはある。あるのだ。
 さて、この秋葉原を1つの箱だとするならば、箱の中には現状
1.私
2.50%の確率で崩壊する目的
3.シュレディンガーの猫耳メイドカフェ

が存在している。存在しているのか?存在しているのだろう。







 また私は目的地にすら辿り着かない。ただこの街の部品となるだけである。
 

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