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他者との境界線についての気付き

何でもないいつもの一日が始まり、シャワーを浴びて、ドライヤーで髪を乾かしながら、ボケーっとして・・・

次の瞬間、ものすっっっごい気付きが降りてきました。
震えるくらいに、内側から、抱えてきた諦めや絶望がすべて吹っ飛んでいくようなショックがありました。

今世、生まれてからずっと抱えてきたつらさ。瞑想を繰り返し、自分を癒し、思考パターンを置き換えては、自分と向き合って、「なぜ私は癒されることを望んでいないのだろうか」「どうして素直に幸せになることを選べずにいるのだろうか」と、問いかけてきました。
自分を癒したくて、楽になりたくて、ヒーリングを学び、それが仕事になるくらいに打ち込んできたというのに、癒しに抵抗する自分がどこかにいるのも感じていて、それに苦しみながら、癒されたい自分と癒されたくない自分との板挟みに悩んできたんですよね。

シータヒーリングと出会って、癒しが進み、生活面も健康面も大きく改善してきているのだけど、どこかに空虚な自分がいるのを感じながら過ごしてきました。

創造の源と繋がって叡智を受け取り、霊的に成長していくと、愛や豊かさは自然に流れ込んできます。
創造ということの素晴らしさや美しさに感動しながら、それを完全に自分のものとしていない自分がそこにいるのも感じていました。

その理由がいきなり理解できたんです。
それはもう、ものすごくショックを受けたし、自分の内側が大きく揺さぶられて、自分でも気付かずに押し込めてきた嘆きや憤りのエネルギーが噴き出してきて、その勢いに呆然としました。でも同時に、それを最善に開放して対処しようと冷静に観察する自分もいて、安心もしました。


そこにはただ、ひとつの叡智がありました。
境界線を持つことの意味と、その尊さ。

今まで私が瞑想の中で理解しようと努め、ワークしてきたテーマです。
その本当の意味や、大切さが、気付きとなって降りてきました。


何年か前に尊敬するヒーラーから、「あなたは境界線についてワークすると、本当の自分の力を発揮できるようになるし、喜びが人生に流れ込むようになる」とメッセージをもらったことがありました。
それから家族ひとりひとりと自分との境界線をしっかり持てるように、セルフワークをしてきて、少しずつ問題点や、その改善が感じられてきたのですが、真の理解にはもうひとつ壁があるようにも思えていました。


スピリチュアル的な観点からの境界線というと、他者と自分との区切りをエネルギー的に判別することです。親子であっても家族であっても、他者と自分との境目をしっかり持って相手を尊重する。相手の意志やものの見方(観点)や選択を尊重するということです。他者の人生、世界をそのままに肯定して認めるということでもあります。


さらにそこから、今日気付いたこと。

境界線は、肉体を持って生きるこの物質世界で、真に霊的に創造の力を発揮するためにある、ということです。

私は、これまで、自己犠牲でヘロヘロになりながら働いて、母や妹たちを養う一家の大黒柱的な役割に悩んできました。それで疲れ果てて精神を病んだり病気になったりしました。でも、私より弱くて心身を病んでいた母や、学生だった妹たちを捨てて家出をする選択肢は、自分にはなかったんですよね。

そんな生活の中で曖昧になった家族との境界線の持ち方が、自分の癒しやモチベーションを阻んできたことについて、クリアリングをしました(もちろん今までもそこはやってきたけど、より深いところをね)。そうしたら、自分がこれまで何に苦しんできたのか、本当のところがクッキリと観えてきました。

それは、ただ境界線を認識すれば完了する、という簡単なものではなかったんです。

すべては、常に「創造」に辿り着くんですね。


◆境界線を認識したうえで、どう自分の人生を創造するのか。
◆境界線のはざまで、他者の世界と何をどう共同創造していきたいか。
◆他者の創造を認め、その世界とどう付き合うか。
◆もし創造を放棄している人がいたら、どう境界線を発揮して距離をとるか、そのうえでその世界に自分がどう愛によって貢献するか。
◆境界線への認識が、他者を愛し育むエネルギーとなるのを観届ける。
◆境界線を認識することによって生まれる霊的なエネルギーが他者の学びや気付きを促すものとなるのを観届けて共同創造とする。


今日、気付けてよかった。
自分が創造するもの全てに、光を見い出せる目や感性を持ててよかった。
新しい観点で世界を観れる自分になれてよかった。

今日生きててよかった!
嬉しくて胸いっぱいです(^^)


 


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