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個としての意識を高次へと導く学び

ソース(創造の源)には、個としての意識がありません。
そこにはただひとつの純粋な意図、法則に則った純粋な愛のエネルギーだけがあります。物質化のための意図をもたない、創造される前の分子、意図を持たないという究極の全とも言える無条件の愛であり光です。

それに対して私たちには個としての意識があり、それを具現化させた肉体という幻想をもって、この世界に存在しています。

私たちの魂は皆、ソース(全としての在り方)を学び、個として在りながら全としての意識を内包する完全な存在へと霊的に成長することを願って、たくさんの転生を繰り返し旅をしています。


その過程で、いろいろな体験をします。
そこには、つらさや過酷さ、痛みやつらさがあって打ちのめされることもあるでしょう。
加害者となって人を傷つけたり、だましたり、見捨てたりしたこともあるかもしれません。
被害者となって他人をうらんだり責めたり、神や運命を呪ったりしたこともあると思います。

ネガティブな体験をして、トラウマを抱え、罪悪感や恥、憤り、悲しみ、みじめさ、うらみつらみ・・・などの感覚感情を覚え、悪徳やカルマを持つようになります。


それは一見、とてもつらくひどいことです。
つらい体験で会得した悪徳は、冷酷さ、人を切り捨てる、人のことをなんとも思わない、無関心、自分を守るために人を犠牲にする、頑固さ、誰の言うことにも耳を貸さない、などという在り方を通して現れてくるかもしれません。でも自分を守り、強く在るために、それを変えることも難しく感じます。

そんな自分を恥じたり、責めたりすることもあるかもしれません。でもそんな必要はないんです。

瞑想によって深く内観していくことで、悪徳は美徳へと昇華していきます。

個としての私たちの意識が、瞑想によってソースと繋がっていくと、会得した悪徳によって、美徳に目覚めていくチャンスを掴んだことに気付かされます。悪徳を得て初めて美徳を得ることが出来るんです。


悪徳を得るとは、美徳に目覚めるための布石です。
悪徳を得るとき、美徳に目覚める準備が整ったのです。


深く内観していき、悪徳を手放すとき、私たちは体験を許すことが出来るようになります。そしてその体験が、愛と育みのエネルギーで私たちを導いていることに気付き、感謝が沸き起こります。

悪徳は、許しと感謝によってのみ、美徳へと昇華されます。
その時、悪徳としてのエネルギーは、ソースの元へと還り、私たちの魂を育み慈しむ糧として吸収されていきます。

悪徳によって学び、美徳に目覚めていく。
悪徳によって目覚めへと導かれていく。
これが二元性の素晴らしさです。



ですから、私たちは自分を恥じる必要も、責める必要もなかったのです。
ただ感謝し、許して学んで目覚めていく。

そして新たな気付きと学びを通して美徳を会得し、それを元にした選択をしていけるようになること。それが自分の個としての意識を高次へと引き上げてくれます。高次の意識を持った自分の在り方は、美徳に支えられた選択と行動によって表されていきます。


あらゆる体験、あらゆる現実を創っている創造のエネルギーは、すべてソースから供給されたものです。それは純粋な意図、無条件の愛のエネルギーによって生み出されています。一見ネガティブに見えるものが、実は私たちを育み成長させる愛によるものだと知るのは、ものすごい癒しです。ソースから贈られた愛(ギフト)だと理解すると、根本からの癒しが起こるのです。

愛に気付こう。
自分を育もう。
許して癒そう。
私もあなたも、高次へと続く道をいく旅の仲間だよ。


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