「もう降参」と言った叔父の最期1
人は一生の間にどれだけ、亡くなった人や生き物を悲しむのでしょう?
こんなに辛いなら、いっそのこと自分もいなくなってしまいたい。と思うことがあります。
2019年12月、札幌ではまだ雪が積もる前、幼稚園の娘の冬休みの間、故郷の札幌へ帰りました。滞在は母の家です。
年に1回だけ、お盆のお墓参りの時だけ会う母の兄(私の叔父)が珍しく母の家に来ました。
入院をするから、保証人の欄に母のサインが必要と言うのです。
叔父「なんか坂を登る時に苦しいなと思ったら、肺がんらしいんだw」
叔父「年末から入院するけど、なんもなんも(←別に 北海道弁)、初期だからさっ」
そうなんだ、でも初期で良かったね、叔父さん。元気そうだね。きっと大丈夫だね!
と思っていました。叔父さんを送る車の中で
「叔父さん!年末に皆で温泉に行くんだけど、叔父さんも温泉とか好き?今回は無理だけど次回はどう?」
と聞くと
「うんうん!行きたいな」
と言っていました。
その後叔父さんはS医科大学I病院に入院し、東京に帰る前にお見舞いに行きました。
いつもあっけらカーン と明るい(何も考えてない?)叔父さん、なんとなく元気がない?…
私の目にはそう見えました。
「じゃあ、またね。」と言った叔父さんの顔に暗いものを感じた。
私「お母さん、叔父さんてほんとに初期の肺がんなの?」
母「おじさんがそう言ってるからそうなんじゃない?」
私「…なんか影を感じた。」
母「お見舞いの人がいっぱい来てるから疲れたんでしょ。」
東京に帰ってからの2020年2月頃、母との電話で叔父さんは元気かと尋ねてみました。
それに対して母は
「看護婦さんの話だとね、叔父さん末期なんだって。余命は半年くらいらしい。」
え!? 半年って… 末期って…
短いよ…
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