見出し画像

その人の横で

お酒を初めて飲んだのは、18歳の時だ。
イケる口の父親は、私が大学に入学したら早々にアルコールを解禁した。
日本の法律では、お酒は20歳からということになっているが私の年代では18歳から飲み始めた人は結構多いと思う。

大学で入ったテニスサークルで、新歓コンパというものに出席した時、その場を一人で仕切っている先輩がいた。
背が高くて、話が面白くて、気配りもできる。二浪して三年生だった先輩は、私より5歳も年上で、それだけで女子校育ちの私には、とても大人に見えた。
横浜の馬車道でナンパした、すごく綺麗な彼女がいるという。
その彼女の名前が、当時すごく流行っていた小説の主人公と同じで、最初から「かなわない」と決め込んだ片想いが始まった。

先輩とたくさん話せる機会が、サークルの飲み会だった。
大学のサークルというのは、どうしてあんなに合宿があるのだろう?
5月に新歓合宿があり、8月には5日間の夏合宿があり、10月にはほかのサークルとの合同合宿があり、2月にはスキー合宿があって3月にはまた、春合宿があった。

「体育会ほど厳しくないけど、チャラチャラもしていない、アットホームなサークル」というのが私が入っていたサークルのキャッチフレーズで、合宿ではお昼を挟み、10時から17時くらいまでみっちりテニスの練習があった。

夕食の後、夜な夜なロビーとか宴会場でみんなが飲み始める。
お酒が飲めなかったり、そういう集まりが嫌いな人たちは早々に部屋に戻ってしまうのだけど、私は先輩と一緒にいたいがために、飲みの席にいつも残っていて、ほかの先輩たちからも面白がられた。
私の気持ちは周囲から見たらダダ漏れだったらしく、「ほら、先輩の横、空いてるよ」なんて同級生の女子に言われたりした。

そんな飲み会を重ね、家では毎晩、父親の晩酌の相手をしていた私はいつの間にか「飲める女子」に分類されるようになり、お酒を飲んでもあんまり心配されなくなった。代わりに、「お前はくるよな」と合宿の飲み会には私がいるのが当然、という感じになった。
ちらっと顔を出すと「おう、ここ入れ」と先輩たちがすぐに私が座る場所を作ってくれて歓迎してくれる。中学から6年間、女子としか交流がなかった私には、それだけで十分に刺激があって自分の世界が広がったような気がしたものだ。

当時、私の家では毎晩のように家庭争議が繰り広げられていた。
夫婦喧嘩、嫁姑、親戚のトラブル、商売の浮き沈み、弟の進学問題……
ネタはいつも違っていたけれど、とにかくいつも揉めていた。私は毎夜繰り返される両親の喧嘩に心底うんざりしていたが、喧嘩の翌朝、母親から延々と愚痴を聞かされるのにも辟易としていた。

大学からの帰り道、駅のホームで(その当時はまだ、ホームドアなんてものはなかった)「このまま飛び込んだら、全部終わりにできるなあ」と思いながら線路を見つめていた。

後で気づいたのだが、あの時私は随分と「死」に近いところにいたのだった。

そういう日々の中で、大学は、私にとって勉学の場所ではなく「逃げ場所」だった。
サークルは逃げ場所の中の、さらに「オアシス」だった。
片思いの成就なんて夢想していたとしても本気で望んでもいない。ずっといられる場所ではないとわかっていた。私の本当の場所は争いごとの渦中で、誰も私を助けてくれない。私が自力でなんとかしなければいけないことはわかっていたけれど、その時の私にはただ争い事の中に身を沈めて、じっと大きな嵐が去って小さな嵐でなんとか息をつくくらいしか方法を知らなかった。
だから、逃げ場所が必要だったのだ。

もうすぐ2年生になる春合宿。
就職活動が始まるので、先輩たちはあんまりサークルに来れない、とわかっていた。私の気持ちがあまりに露骨すぎて、先輩からよそよそしくされていて落ち込んでいたその夜。
いつもの飲み会の席に行くと、先輩が振り返って言った。
「おう、仁香、ここ座れよ」
自分の隣を示す。私は嬉しくなって、ニコニコしながら先輩の横に滑り込んで座った。
「本当、お前は付き合いいな。お前は俺の一番弟子だ」
なんて言って、ビールを注いでくれた。
しあわせだなあ、と思った。
大好きな先輩と、陽だまりに座っているような心地がした。

合宿の飲み会は大抵、誰かが酔い潰れたり、恋愛バナシがもつれて喧嘩が始まったりするものだけど、その日は平和で、ゆるくて、みんな温泉に入っているように気楽な顔をして笑っていた。まだまだ学生生活が続く私たちと、社会に向かい始める先輩たちが同じステージにいられた最後の日々だったのかもしれない。

その時の合宿場所はコテージで、ログハウスのようなデザインだった。丸太を積んだような壁を、今も覚えている。

今日が終わらなければいいのに、と思いながら、ニコニコしているみんなのなかで私も笑っていた。それだけで十分だった。

逃げ場所でヘラヘラしながらも、心の底では分かっていた。
あの、嵐の中に覚悟を持って臨み、降りかかる問題を解決しなければ、私には周囲の女の子たちのように、彼氏とドライブしたり映画に行ったりするような華やかな日々は来ない。

それまでは、せいぜい、飲み会の時だけ。
合宿の時だけ。
逃げ場所でだけでしか「しあわせだなあ」とは思えない。
それでも、そう思える場所があったということが、私を生きる側に立ち戻らせた。

あれから、いろいろなことがあった。
私が今生きる場所には、しあわせがある。
もう先輩に会うこともない。

だからあの頃のことを、ちょっと切ない気持ちで「寂しい女子大生だったなあ、もっと遊べば良かった」なんて思い返したりもする。
でも、今の幸せから忠実に過去を遡れば、たどり着く初まりは、あの合宿所の飲み会なのだ。
大好きな人の横で、お酒を飲む。
それだけで、幸せだと思う。

その思い出が、私をここまで歩かせてくれたのだ。

読んでいただきありがとうございます。 スキやサポートしていただけると、励みになります。