間違ってる人が嫌い。
外因的な理由で間違えたとか間違いに気付いて自分で正そうと出来る人の事ではない。
元々の性根が腐っていて間違ってる奴の事だ。
自分が間違えるのも嫌だ。
でも概して間違ってる奴と言うのは真っ直ぐな人を妬んで足を引っ張ったり周囲の人間も道連れに間違いを重ねて行くのだ。
昭和の教師では無いけど、私は「腐った果物」論はあながち間違って無いと思う。腐った誰かは多かれ少なかれ周りに悪影響を及ぼす。
ただ、よくこの論法を嫌う人が居るのは、所謂「腐った○○」と定義された人が本当はそうでない場合であると思う。理由があってそう見られているだけであったり、悪意ある誰かからの影響を受けて一時的に間違えてしまっているだけであったり。
その場合、本当の意味で「腐った○○」なのは陰で悪意をもって人を操って自分は矢面に立たない奴なんだろう。多分。(どうでもいけど私は陰で人を支配する人を全員嫌とは言いません。周囲の人の質や理由や目的にもよるだろうし。)
でも悪い奴も間違ってる奴も悪意のある人も、大抵は初対面時ニコニコとして悪意を隠して近づいてくるものだ。
性善説(せいぜんせつ)と性悪説(せいあくせつ)がある。恥ずかしながら私は性悪説については大人になるまで少し意味を勘違いしていましたが。
調べればすぐに分かると思うので知らない方は調べてみてね。
私は子供の頃、どんな辛い事があっても苦境に立たされても何故か性善説を信じていた。どこかで信じていたかったんだと思う。
でも大人になってこう思う。性善説なんてあるか!確かに善人は存在する。
でもその2倍3倍、いや10倍近く悪い人が居るのはどうしてなんだ???
性悪説を支持したいわけでは無い。人間皆が悪だとは思わない。だがとてもじゃないが実際に私に害を為した強盗や強姦魔や悪人がもともとは悪い人じゃない、なんて子供騙しを信じられる程頭がお花畑では無い。
私は、私は。
もう疲れたんだ。人を信じるのも。疑うのも。
もう私が信じたいと思った人だけに囲まれて、ひっそり幸せに暮らしたい。
天国に行きたいだとか、そんな願いはとうの昔に捨てて来た筈だったけど。
別に贅沢なんか出来なくたっていい。ただ間違った奴悪どい奴とはこれからもこれまでも一切関わりたくない。
妬み強奪勘違い魔や自意識過剰強姦魔みたいな間違った奴らなんか全員地獄に落ちて死んだら良い。