自分以外全員他人?


 ここに一冊の本がある。タイトルを『自分以外全員他人』、ゲバ字に似た書体で、黒地に白抜きの文字で書かれている。裏表紙にはまたはだろうか、これもゲバ字を模した文字で並んでいる。

 中央線沿いに住むある中年男性の、2021年の冬から次の年の冬までの話である。マッサージ店に勤務する柳田は幼い頃から家庭環境に恵まれず、日陰者としての人生に愛想を尽かした末、春になったら自殺をしようと決める(結局自殺はしない)。元々の性格がコロナ禍によってさらに繊細さを増し、ルールやマナーを守らないおかしな人間や〈クソ客〉への暴力的なほどの強い憎悪が積み重なっていたが、ある日の「自転車の置き場所を取られた」というほんの些細なできごとが人生の歯車が狂わせてしまう。

 人生を諦めた柳田の周囲にも、幾らかの人間関係はある。たとえば出張マッサージを依頼してくる岡本さん。自身も癌を患いながら、生きる希望をなくした柳田をプレッシャーにならない範囲で心配してくれる。たとえば同僚の樋山。彼女も死への憧れを抱きつつ、柳田の自殺計画を「でもそんなの無理じゃん、明るい自殺なんてないし」と口にする。柳田の妄想をリアリティを持って非難する数少ない人間だ。

 だが最も身近で最も柳田から遠い位置にあるのが柳田の母だ。無気力に苛まれ、誰と会うのも・何をするのも楽しくないと言う柳田にかけた言葉は、「そんなの当たり前だがね。みんな他人なんだから」だった。「みんな自分のことしか考えてない」と信じて疑わない、利己的でおかしな人間だと柳田は母を嫌悪するが、ある意味この母が一番他人というものを理解している。他人に期待するのはこの社会において、字義通り「自殺行為」だ。だが柳田は別に他人に期待なんてこれっぽっちもしていないのに、なぜこんな目に遭わなければならないのか? 本当に自分以外全員他人なのか? 

 正直に言って柳田の思考回路は常軌を逸している――より彼に寄り添うならば鬱症状の傾向がある――としか思えないのだが、そのために全ての忠告や懸念を無効化し、自分ただ一人の意思によって行動を決定してゆく。どうして他人の意見を聞けないかというと、それは鬱病特有の脳のシステムエラーで、だからこそそこを解決しないことには柳田はどこへも到達できない。そしてこの話の中だけにとどまらず、柳田は私たちの身近にいるおかしな他人を思い浮かべさせる。他人をおかしいと思える人間だけがこの世界を生き抜くことができ、それは私たちがおかしな他人がたくさんいる中で生きているということでもある。

 誰の中にも柳田的なものは存在し、その割合が多くなると面倒が起こる。これはどこかのおかしな人間の話ではなく、自分自身の話であり、そして自分を含めた他人全員の話でもある。少しでも異変を感じた方は、お近くの他人への相談か適切な医療機関の受診をお勧めいたします。


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