旅をする木 フレーズ

ここへ来ると、神話学者ジョセフ・キャンベルの言葉をよく思い出します。「私たちには、時間という壁が消えて奇跡が現れる神聖な場所が必要だ。今朝の新聞になにが載っていたか、友達はだれなのか、だれに借りがあり、だれに貸しがあるのか、そんなことを一切忘れるような空間、ないしは一日のうちのひとときがなくてはならない。本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことのできる場所だ。これは創造的な孵化場だ。はじめはなにも起こりそうにないが、もし自分の聖なる場所をもっていてそれを使うなら、いつか何かが起こるだろう。人は聖地を作り出すことによって、動植物を神話化することによって、その土地を自分のものにする。つまり、自分の住んでいる土地を霊的な意味の深い場所に変えるのだ。」p36

「私たちはここまで速く歩く過ぎてしまい、心を置きざりにして来てしまった。心がこの場所に追いつくまで、私たちはしばらくここで待っているのです。」p41

百年以上前にアラスカを旅した人が、”若い時代にアラスカに行くな。人生の最後に出かけなさい”といったそうです。つまり、他の世界が小さく物足りなく見えてしまうということです。p56

一本の道がつなぐその二つの世界の境とは何なのでしょう。あの少女が馬車に乗って町へ出てくるときくぐり抜けるもの、そして再び村へ戻ってゆく時くぐり抜けるもの。そのあいまいな世界は信じられるような気がしたのです。p61

僕はTの死からひたすら確かな結論を捜していた。それがつかめないと前へ進めなかった。一年がたち、ある時ふっとその答えが見つかった。何でもないことだった。それは「好きなことをやっていこう」という強い思いだった。Tの死は、めぐりめぐって、今生きているという実感を僕に与えてくれた。p77

ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。p129

ぼくは万象の動きをじっと見つめているようなアルの優しい視線が好きだった。多くのことは大したことではないアルはいつもそんな思いをぼくに抱かせてくれる。つもる話の途中で、降り出しそうな曇り空を見上げながら、ふと”今日は雨が降ったら困るんだよな”と僕が呟くと、”ミチオ、心配するな、雨が降る時は降る。止むときは止む”というアルの言葉がたまらなく懐かしかった。p173

なんという多彩な人生なのだろう。誰もが何かを成し遂げようとする人生をいきるのに対し、ビルはただ在るがままの人生を生きてきた。それは自分の生まれもった川の流れの中で生きてゆくということなのだろうか。ビルはいつかこんなふうにも言っていたからだ。
「誰だってはじめはそうやって生きていくんだと思う、ただみんな、驚くほど早い年齢でその流れを捨て、岸にたどり着こうとしてしまう。」p179

世界が明日終わりになろうとも、私は今日リンゴの木を植える…ビルの存在は、人生を肯定してゆこうという意味をいつもぼくに問いかけてくる。p182

「…すべての物質は化石であり、その昔は一度の昔ではない。風がすっぽり体をつつむ時、それは古い物語が吹いてきたのだと思えばいい。風こそは信じがたいほどやわらかい真の化石なのだから…」

私たちは、カレンダーや時計の針で刻まれた時間に生きているのではなく、もっと漠然として、脆い、それぞれの生命の時間を生きていることを教えてくれた。自分の持ち時間が限られていることを本当に理解した時、それは生きる大きなパワーに転化する可能性を秘めていた。p194

英語で"it made my day"という言い方がある。つまり、そのわずかなことで気持ちが膨らみ、一日が満たされてしまう。人間の心とはそういうものなのかもしれない。p203

「世の中には二種類の人間がいるだけだと、いつか誰かが言っていた。奇妙で、面白い人生を送る人々、そしてもうひとつは、まだあったことがない人々…つまりこの世の中で、それぞれの人間の一生ほど興味深いものは無いということかしら…」p213

その流木の生と死の境というものがぼんやりとしてきて、あらゆるものが終わりのない旅を続けているような気がしてくるのです。p233


一言感想

死は生の一部であり、それは大きな流れの中で巡り続けていくもの。

だからこそ今にのみある生を充実させ、その時をあるがままに受け止め、満たしていく。



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