この声は届きますか?

 おまけみたいな、小さな声が聞こえた。
「ただいま、ホットドック揚げたてです」
 入店して、店内を物色していた私に届いた声だった。
 何気ない声だった。誰に向けた物でもなかったようで、ホットドックを補充した店員さんは、その後別の商品の補充に向かっていた。
「レジお願いします。商品の他にホットドック1本下さい」
「袋は分けますか?」
「いえ、大丈夫です」
「でも熱い商品と冷たい商品が一緒になっちゃいますよ?」
「揚げたてなんですよね。だから直ぐ食べます」
 自分がレジに向かった時に、そんなやりとりをした。
「聞いていたんですか?」
「聞こえたから、次いでに買っちゃいました」
「言って良かったです」
 商品を受け取る時に、そんな会話を交わした。

 淡々とお仕事をするレジのお姉さんが、少しだけ笑ってくれた気がした。


この声が聞こえますか?

 現代社会には、沢山の声と言葉が溢れているように感じる。
 自分が社会人になったからかもしれないし、沢山の人と接するようになったからかもしれない。自分の声はいつからか誰にも届かなくなったし、そもそも私は自分の主張を大声で言うのがとても苦手だった。
 その分、小さな声でも誰かに拾って貰えるのがとても嬉しいと感じるようになった。
 自分は今ここに居ます。その事を拾ってくれた人に認めて貰えるような気がしたからだ。
 自分の小さい声を拾ってくれる人はとても偉大なんだなぁと感じていたが、上の出来事から「拾った人も悪い思いはしていないんじゃないか」と。

 小さい声を拾った事で、私はアツアツのホットドックを食べる事ができたのだ。


貴方の声が届きました。

 先日まで、終局世界LARPというWebと生身を連動させたゲームを行っていた。まだまだ稚拙で、連動させるといっても不十分で、改善の余地は沢山ある。
 なによりGM不足により、プレイヤーを待たせてしまうという瞬間が多々存在した。
 より没入度を高める為には、GMは視野が必要だと痛感したものである。

 また、Webでも自分の視野は足りなく、拾いきれない情報が多数存在してしまった。
 大反省である。

 ただ、私の逃した情報、私の処理が遅れた事柄を、他のプレイヤーが拾ってくれた事。自分達で処理してくれた事。これがとても嬉しく、改めて感謝を覚えた。
 私一人でやっているのではなく、参加者全員で行っている。参加者全員が『誰かの声を聞いている』。
 貴方の声は、誰かに届いているのです。


一人ではできない。

 私は、コミュニケーションゲームが好きである。
 何故だろうかと考えた時に、誰かと話すのが結局のところ好きなのだという自己分析に至った。その人の価値観や行動、言動。そういったものに触れる事がそもそも好きなのだ。
 その人の行動や言動があったからこそ、他の人がそれに影響されて、行動を変える。その結果、また別の人の行動や言動が変わってくる。その連鎖がとても楽しくて、自分もその一環に加わりたくなるし、自分の行動と言動で誰かが変わればとても嬉しく思う。
 人の心を強く揺さぶる事ができるのは、とても嬉しいのだ。
 自分が、ここに生きている事を、認めてもらえた気がする。

 私と同じような感覚を持っている人がどれほど居るか分からないのですが、私はこういう事がとても嬉しいと感じるので、同じ感覚の人に届けたい。
 もう少しだけ、こういう機会を増やせるように。

 私はMATH-GAMEという団体に所属して、コミュニケーションゲームの体験の機会を増やして行きたいと思う。

 今回はここで筆を置きます。
 また沢山の文章を書きたくなったら、NOTEを利用して、少しでも私の声が誰かに届きますようにと。願いを込めます。 

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